「音楽を愛する人間が最後に残る」ブルーノート創立85周年、社長ドン・ウォズに学ぶレーベル運営論
大切なのは国やジャンルでなく「魂の物語」
―コンピレーションを作って文脈を提示したりするのもそうですが、ブルーノート・オールスターズとしての作品を定期的に制作したり、いろんな手法でレーベルのブランディングを推し進めている。残された音源の価値を高めることに、ここまで力を注いできたレーベルは他にないように思います。 ドン:僕らの仕事は、なるべく多くの人に音楽が聴かれるようにすることだ。だからミュージシャンはブルーノートと契約する。僕らは、レコードを作るのを助け、制作費用を出し、音楽に多くの注目が集まるようにする。リリースして半年で仕事が終わるわけじゃない。80年前に録音された音楽に対しても同じことをしている。レーベルとはそうあるべきなんだ。そのことに気づいてくれて、いい仕事をしていると思ってもらえるのは感謝する。でもそれが僕らの仕事なんだよ。僕が社長として雇われたのもそれをやるためなんだ。 ただし! 生涯通じてのブルーノート・ファンとして言えることが一つある。ブルーノートというブランドには、確かに特別な何かがあるよ。クールな気分にさせられるんだ。 ―ははは、たしかに(笑)。 ドン:レコードを聴いているだけで、クールになれるのさ! マーケット・リサーチでブルーノートに対するイメージを尋ねると、大抵返ってくるのは「integrity(高潔さ)」「intelligent(高度な知性)」「cool」の3つだ。悪くないね。でもそれは僕の功績じゃない。85年以上かけて培われたものだ。そのイメージを壊さずにこれたことは誇りに思うよ(笑)。 ―ブルーノートはラテンジャズとの関係も深いレーベルで、アメリカにおけるアフロキューバンジャズを語るにはブルーノートの名作は欠かせません。アロルド・ロペス・ヌッサ、アルトゥーロ・オファリルと近年になって契約したのも、そこから連なるものと言える気がしますが、どうですか? ドン:正直な話、両者は別のものだとは思っていないよ。5年間ほど続けたブルーノート・クルーズにアロルド・ロペス・ヌッサは弟とのトリオで参加してる。彼のライブを見ると、彼の人柄も音楽も好きにならずにはいられない。でも「ラテンジャズ・アーティストが必要だ」ではなく、「最高だ。ブルーノートでレコードを作るべきだ!」というだけなんだ。ブルース(・ランドヴァル:1985年のブルーノート復活から四半世紀にわたって社長として活躍)がチューチョ・バルデスと契約したのも、きっとそうだったろう。 僕はアルトゥーロ・オファリルとは良い友人だ。素晴らしい社会活動家でもあり、彼が音楽を作る目的の一つは、この世界をより良い場所にして、人を結びつけることだ。普段から音楽を金を払って聴けない人たちに、音楽を届けようと、たとえば近所のコインランドリー店の前とか、小さなマーケットの前に楽器をセッティングして、コンサートを行うのさ。曲からも演奏からも、そんな彼の美しい心が伝わり、何かを一緒にやりたいと思わせるんだ。でももし彼の音楽が、四分音を使ったアラビアの音楽だったとしても、何ら違いはない。ハートとソウルが美しいというだけ。だからジャンルでは分けないよ。 ―なるほど。 ドン:ジョニ・ミッチェルが話していたが、晩年のチャールズ・ミンガスはチャーリー・パーカーとあと数人の音楽しか聴かなかったそうだ。というのも、彼は「真実を語るミュージシャンの音楽しか聴きたくない」と言い、それが見せかけの、強いられて作った嘘かどうかがわかったという。死を前にして、心からの音楽以外、聴く忍耐力はなかったんだ。 僕の思いも、チャールズのそれにちょっと近い。ラテンジャズかどうかとか……確かにンドゥドゥーゾ・マカティニは優れたアフリカンジャズだが、結局は心に触れるものがあるかどうかだ。もしなければ、リリースはしない。あれば、どの国の音楽だろうと関係ないし、人がジャズと呼ぼうが呼ばなかろうが、僕は気にもしない。そもそもジャズって言葉の意味すら、わからないくらいだ。言葉の奥にはある種のスピリットがあるにはあるけれど。たとえば今回のコンピレーションも、カテゴリーとしてはジャズなんだろうが、曲はそれぞれに全然違う。ある種の生き方、考え方……重要なのはその人が魂から真実を語り、物語を語っているかということなんだ。 ―今回のコンピレーションでもンドゥドゥゾ・マカティーニの曲を選んでますね。彼のどんなところがお好きですか? ドン:彼のやることすべて好きなんだが、この1曲(「Amathongo」)にそれが凝縮されている。ブルーノートにいるミュージシャンの音楽の本質は、アフリカから来たものだ。アフリカからやってきた人たちと共にアメリカに渡った。そしてアメリカに住む人間がそれを吸収し、手を加えた。マッコイ・タイナーもその1人。そのマッコイ・タイナーを聴いて育ったンドゥドゥーゾがやっていることは、アメリカ人がアフリカの音楽にやったことを再解釈し、さらなるアフリカの要素を加えることだ。彼の音楽には、アフリカの宇宙論……すなわち、自然への感謝、意識、祖先とのコミュニケーションと密着に結びついている部分がある。それこそがアフリカの哲学であり、彼の音楽の根本だ。アフリカ音楽ではあるけれど、アメリカでの体験を経て、一周して戻ってきたアフリカ音楽ということさ。彼は深い心の持ち主で、ミュージシャンであると同時に哲学者であり、先生だ。そんな彼の精神が音楽にも表れている。世界中で人気があるし、彼を理解するのにアフリカ人でなきゃダメってことはないんだ。 ―ミシェル・ンデゲオチェロとの契約も近年の大きなトピックでした。彼女はずっと素晴らしいんですが、ブルーノートとの契約以降、再びピークを迎えているように思えます。 ドン:彼女とは30年前からの知り合いだし、仕事もした。彼女の作品は全て聴いている。僕もベースを弾くんでね。彼女は歴史上、最も優れたベーシストの1人だと思う。彼女は深く掘り下げるんだ。彼女のグルーヴもトーンも本当に深みがあって……ベースを弾くことに関して、彼女に根掘り葉掘り聞いたことがあるよ。無料レッスンを受けさせてもらうチャンスだ、とばかりにね(笑)。 元々、周囲は彼女をポップスターに仕立てようとした。デビュー当時はMTVの常連だった。でも彼女はそのことで自分を決めつけさせることなく、ポップスの限界に挑戦し、音楽的に勇敢で独創的な選択をし続けたんだ。どんな時も。彼女の作品を聴けば、すべてそうだ。今まで聴いたことのない音がそこには常にある。 今回のコンピに収録した「A Consequences of Jealousy」はロバート・グラスパーの曲で彼女が歌っているものだが、この『Black Radio』は僕がレーベルの社長に就任して最初に出した作品の一つだった。あるプレス向けのイベントで、僕がミシェルとロバートにインタビューをして、曲をかけるということをやったんだ。あの曲がかかった瞬間、それまでにも聴いていたにも関わらず、まるでLSDでもやったみたいにぶっ飛んだんだよ。あんなのは初めてだった。彼女のボーカルは全てを超越していて、神秘的で美しかった。イベントが終わって、引っ込んだ裏のキッチンで僕は彼女に言った。「ブルーノートでレコーディングしてくれ。君みたいな人はいない」。彼女も興味を示してくれたが、別のレーベルと契約をしていて無理だと言うから「その契約が切れたら連絡をくれ」と言っておいた。それから数年後、契約が切れた時点で連絡をくれたんだ。彼女のなかで、3枚のアルバムのプランもすべて出来上がっていた。僕は「いいね」と言った。 ミシェルに口出しなんてしない。誰もできない。すべて彼女の表現の自由。というか、ブルーノートのアーティストはすべてそうだ。少なくとも僕から彼らに何かを言ったことは一度もない。信頼できるアーティストを契約したなら、彼らが自分でいられる自由を与えるだけ。ミシェルが新しい高みの偉大さに達したという君の意見に、僕も同感だよ。ここ2枚のアルバムはとにかく凄い。日本でも彼女のジェイムス・ボールドウィン(に捧げるアルバム)のライブが実現してほしい。本当に素晴らしいんだよ。きっと行くと思うがね。