「逃げてもいい。でも高校を辞めても理想の日常は来ない」紺野ぶるまが語る高校中退 #今つらいあなたへ
生きているか死んでいるか分からない日々を過ごした
――その時の紺野さんの気持ちは? やってしまったな、と。私、在学中の口癖が「学校辞めたい」だったんです。「私はこんな学校にいるべき人間じゃない、もっと自由でイケてるギャルになるはずだった、クソみたいな高校だ」って。でも、いざ退学と言われると、急に地の果てに落とされたような気持ちになった。辞めたくないって思いました。 たぶん、辞めたいと言ったり、校則を破って注意されるというところまでが、自分の中での楽しい高校生活だったんですよね。 学校に呼び出されたお母さんは「この子を更生させるので、なんとか通わせてやってください」ってめちゃくちゃ泣きながら頭を下げているし、校長先生はそれを無視していなくなってしまうし……。「腐ったみかん」とも、はっきり言われました。私は、心の中で「許して、ごめんなさいごめんなさい」って思いながら、無言でお母さんの隣に座っていることしかできませんでした。 自分が恵まれていたことに、高校を辞めてから気づきましたね。高校を辞めてからの生活は、生きているか死んでいるかも分からない感じ。髪の毛をどんどん派手にして街を練り歩いても誰も自分のことなんて見ていないし、注意もされない。夕方の5時に起きて、友達と会ったりして、深夜2時から放送されていた『池袋ウエストゲートパーク』の再放送を見る。終わったらその後は砂嵐。それを30分ぐらい見て、『egg』を読んで朝5時に寝る。超つまらなかった。高校行きたいって、いつも思ってた。後悔しても遅かったけど。ゆくゆくは辞めてよかったなと思えるんですけど、そう思えるまで結構な年数がかかったし、いろいろな人を傷つけてしまいました。当時は辞めてよかったなと思ったことは一個もない。
舞台では、コンプレックスも全てプラスに変わった
――芸人になるまでの道のりは? 進路について考えた時、「人前に立ちたい、面白いことをしたい」って思ったんです。で、地元の仲間たちに「背が高いから絶対パリコレ行ける」って言われたから、インスタントカメラでイエーイって撮った写真を貼って、いくつかモデル事務所に応募したんです。もちろんちゃんとしたところは全部落ちました。入ったところは悪徳事務所で仕事なんてない。パリコレの夢のためと言われ、トータル100万円ぐらい騙し取られました。そんな時に、卵巣嚢腫っていう婦人系の病気になってしまったんです。 入院して、お金もないし、体はガリガリに痩せてボロボロ。そんななか、バラエティー番組の『爆笑レッドカーペット』でくまだまさしさんと鈴木Q太郎さんのネタを見て、本当に久しぶりに心の底から笑ったんです。こんな大人になりたいって思いました。それから、お笑い芸人になりたいと思って、松竹芸能に入りました。その日からが一番楽しかった。高校中退のことがめちゃくちゃコンプレックスだったけど、高校の時のエピソードを舞台上でしゃべったらウケるし、先輩芸人が私の心臓の手術痕を引かずにイジってくれたのも、私はすごく嬉しくて。それって、一般的にはいじめととられると思うけど、私にとっては、手術痕なんて痛かったことしか思い出さないから、それをせめてお笑いに転換できたことはよかったんです。 学校では、ふざけると自分だけ怒られて損していたけど、舞台では悪目立ちがいい意味でお客さんへの印象になる。全部がプラスに変わりました。 ――高校を中退していなかったら? 中退していなかったら、絶対芸人にはなれていなかったと思います。学校にいたままだったら、限られた選択肢から進路を選んじゃっていたと思う。自分の偏差値で行ける短大とか、行きたいかも分からない専門学校とか。今だから言えることですが、あれが正しい道だったって思える人生を歩んでいます。 『アメトーーク!』の高校中退芸人や『しくじり先生』に出られましたし、『「中退女子」の生き方』っていう本を書くきっかけにもなりましたしね。それらは中退後の死んだような毎日や、苦しかった経験が形になったものです。「中退するのをやめました」、「娘に見せたい」と反響があったのは、本当に嬉しかったです。