《ブラジル》寄稿=ウクライナ戦争の時代に改めて読む=『ビルマの竪琴』上等兵の手紙に感泣=「無数に散らばった同胞の白骨を、そのままにして国に帰ることはできません」=サンパウロ市在住 毛利律子
戦争体験者は語れない、語らない
「戦争体験者が戦争を語らない」ということを、著者の竹山は次のように述べている。少し長くなるが、敢えて引用したい。この文章から、戦争体験者の生涯癒すことのできない心の傷の深さを、伺い知ることができたからである。 ☆ 私は戦地から帰った人にあうと、その体験をきかせてもらいました。根ほり葉ほりたずねました。ところが意外に思いましたが、自分の体験をはっきりと再現して話してくれる人は、じつに少ないのでした。たいていの人の話は抽象的で漠然としていました。すこしつきつめてたずねると、事実はぼんやりとして輪郭がぼやけてしまうのでした。自分が生きていた世界の姿をよく見てはこずに、霧の中を無我夢中でかけぬけてきた、というようなふうでした。 「自分の体験を他人につたえることは、これほどまでにもむつかしいことなのか。また他人の体験を具体的に知ることは、これほどまでにもできないことなのか」と思いました。 たいていの場合に、語られるのは直接の体験ではなくして、むしろある社会的にできあがった感想でした。自分自身が味わった事実は、はっきりとした形でとらえることがむつかしく、自分の判断は何となく自信が持てないが、社会的に通用している観念の方が頼りになるのです。つまり、個人と個人は直接につながるのではなくして、ジャーナリズムその他によって公の通念となったものが、個人に伝わるのでしょう。社会通念の方が先にあって、それから個人の判断が生まれるのです。われわれの生活の中では、個人同士の横のつながりは、思うよりもはるかに希薄なもののようです。 しかし、ビルマの戦地の様子を大変いきいきと話してくれた人もありました。残念ながら、それはあの物語(『ビルマの竪琴』)が本になったあとのことでした。」 【参考文献】『ビルマの竪琴』竹山道雄、2014年、新潮社、東京
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