《ブラジル》寄稿=ウクライナ戦争の時代に改めて読む=『ビルマの竪琴』上等兵の手紙に感泣=「無数に散らばった同胞の白骨を、そのままにして国に帰ることはできません」=サンパウロ市在住 毛利律子
物語に登場するたくさんの名曲
この「うたう部隊」では、葦や竹を切って穴をあけた簡単な楽器から、壊れた機械の部品を取り付けたラッパ、木の枠に犬か猫の皮を張った鼓など、バイオリンやギターまで持っていた人がいたが、やはり一番は水島手製の竪琴であった。それは、竹を曲げて、銅、鉄、アルミ化ジェラルミンの針金の弦に、低音のための皮ひもなどで作られていて、それを独学で学んで奏でる水島は名人の腕前だった。 歌は「荒城の月」「菜の花畑」「蛍の光」「庭の千草」「夕空はれて…」「都の空、一高の寮歌」「仰げば尊し」、ビルマの民謡に歌謡曲など、数多くの歌が歌われ、主題曲は「埴生の宿」となっている。 これらの歌の中に、それまで日本の歌と思って何気なく歌っていたのが、イギリスやアイルランドの民謡であったことを知った隊員たちは、そのことをとまどうことなく歌い上げる。それは敵味方、人種の違いを乗り越えて、イギリス軍との合唱になっていくのである。 この作品は、音楽も一つのモチーフにして展開している点が、「児童文学の質と地位を高めた異色ある作品であり、国境を越えた人類愛をうたいビルマの風俗なども面白く描かれている」という評価を得て、毎日出版文化賞(1948)を受賞し、芸術選奨文部大臣賞(1951)も受賞した。いまだに読み継がれているロングセラーである。
この物語のモデル
この物語の水島上等兵のモデルと言われた人物がいた。その人は中村一雄氏(1916年―2008年・享年92歳)であった。13歳で仏門に入り、38年福井県の永平寺で修行中に召集された。中国、東南アジアなどを転戦した後、ビルマ(現ミャンマー)で捕虜となり、終戦を迎えた。 収容所ではコーラス隊を編成し、合唱で他の捕虜たちの心を慰め、読経で死者を弔った。この話を中村氏と同じ部隊に所属していた教え子から聞いた竹山道雄が、小説「ビルマの竪琴」を発表。映画化され、大ヒットとなった。 中村氏は46年に復員後、1947年から1993年まで雲昌寺(群馬県昭和村)の住職を務め、1967年、自らの体験を基にした児童書「ビルマの耳飾り」で、講談社児童文学新人賞を受賞。引退後には私財を投じ、ミャンマーに死者を供養するための慰霊塔を建立。現地に小学校も寄贈した。
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