Number_iは音楽界を撹拌する「トリックスター」。紅白にデビュー作“GOAT”投下する特異性を解説
紅白「歌」合戦で“GOAT”は、新鮮で美味しい闇鍋のような存在感を示すだろう
本稿の冒頭では、“GOAT”について「こうした音楽スタイル自体は、J-POPの周辺領域でも以前から取り組まれてきたものだった」としつつ、「紅白の長い歴史を見渡しても、音楽的にこれほど攻めた楽曲が選ばれたことは稀ではないか」と述べた。この話についていくつかの補足をすることで本稿の結びとしたい。 「こうした音楽スタイル」の例として挙げた楽曲派アイドルポップスや、ある種のK-POP、ハイパーポップ、Gacha Popといった音楽スタイルは、いずれも印象的なメロディを軸に多彩な音楽要素を結びつける構造になっている。言い換えれば、どれだけ多彩なジャンルを横断してもそれらは添え物で、根本的には歌が主体の、伝統的なポップスの延長線上にあるものが大半なのだ。 それに対して、“GOAT”のような曲では、歌=ラップはメロディよりも多彩なビートに意識を向かわせる入り口になっている。特に“GOAT”の場合は、曲名を連呼する箇所がジャージークラブ(※)のビートになっているというように、歌もリズム構造の面でバックトラックと並ぶ、つまり対等な存在感を示している(これは、ヒップホップのビートオリエンテッドな側面を強調したようなものでもある)。 ※NewJeans“Ditto”やCreepy Nuts“Bling-Bang-Bang-Born”では低音のキック≒バスドラムで刻まれている「5つ打ち」(16分音符で数えるなら4+4+3+3+2拍になっている)ビートのこと。2023年から2024年にかけて世界的に大流行した。 音楽における「歌」の立ち位置や機能を大胆に入れ替えてしまった、こういった曲が紅白「歌」合戦で披露され、初めて観る人々に大きなインパクトをもたらすのは、「歌」一般の在り方や受容のされ方という点においても、非常に意義深いことだと思われる。 また、初めて観るということに絡めて言うと、“GOAT”はいわゆるコミックソングとも異なり、一般的には文脈をほとんど共有されていない、そもそもどう反応するのが正解かさえ示されていないタイプの曲だ。 例えば、2016年の『第67回紅白歌合戦』でピコ太郎が披露した“ペンパイナッポーアッポーペン(PPAP)”は、歌とビートの関係性という点ではじつは“GOAT”にかなり近いのだが、コミックソング的な立ち位置の明示、笑ってもOKなものだという目配せがしっかりなされていたために、視聴者はあまり困惑せずに楽しむことができるようになっていた(※)。 ※ピコ太郎が2024年11月10日に出演した日本テレビ系『笑点』では、会場に集まった高齢者の方々が“PPAP”のカウベルに合わせて裏打ちで手拍子を揃えていた。これは日本人のリズム教育における偉業と言っていいくらいの達成だろう。「マスに届ける」ことの意義はこういったところにもあるんだな、と実感させられたのだった。 一方、“GOAT”にはそういう目配せがなく、ジェットコースターに乗せられているような刺激を、自分が乗せられているのはジェットコースターなのかさえわからない状態で与えられるような音楽になっている。『紅白歌合戦』は一年間の流行が一堂に会する場で、日本で一番多くの文脈が交差する機会でもあるわけだが、そこに“GOAT”のような曲が投下され、文脈を共有せずに理屈抜きのインパクトで引き込む、新鮮で美味しい闇鍋のような存在感を示すことになる。 こんなことができるトリックスターは滅多にいないだろう。当日のパフォーマンスがどんなことになるか、そして続く2025年の活動はどんな広がりを見せるのか。目の当たりにするのが本当に楽しみだ。