歌謡曲好きの少年は、ビートルズ、フォークの洗礼を受け…「佐藤竹善」に警察官の夢を捨てさせた“運命の一枚”とは
今年ソロデビュー30周年を迎えた佐藤竹善(61)。昨年がデビュー35周年だったバンド「SING LIKE TALKING」(SLT)ではボーカル、ギター、キーボードを務め、曲作りも担うが、幼少時は演歌や歌謡曲一辺倒だったという。 【写真11枚】貴重な学生時代の姿も…写真で振り返る「佐藤竹善」の軌跡 (全2回の第1回) ***
友人に教わったビートルズを拒否
青森県青森市で少年時代を過ごした佐藤にとって、音楽といえば、当時、メディアの中心だったテレビやラジオから流れてくる曲だった。 「ごくごく一般の音楽好きな家庭だったと思います。演歌や歌謡曲好きだったのは親の影響ですね。小学6年生の時、友達にザ・ビートルズのレコードを教えてもらったんですが、興味がなかったんで拒否したんです(笑)」 当時、歌っていたのは、殿さまキングス、ぴんから兄弟、尾崎紀世彦らの曲。ド演歌や歌謡曲をはじめとするヒット曲が中心だった。また、ささきいさおが歌った「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌など、テレビアニメのテーマ曲も。例外的に小学4年生の時、向かいの家から聞こえてきたクイーンの「キラー・クイーン」に感銘を受け、聞こえたままにカタカナ英語で歌ったものの、洋楽へ関心が向かわなかったのは、ビートルズのエピソードで触れたとおり。 「歌詞よりメロディーを重視していて、メロディーがいいと思ったらその曲を歌っていましたね」
ビートルズに“再会” バンドの存在を知る
ようやくビートルズの洗礼を浴びたのは、中学に入学してからだった。叔父の部屋にあった「赤盤」の2枚組のカセットがきっかけだった。友人のおすすめを“拒否”して以来、一切、ビートルズの楽曲を聴いてこなかった。当時はテレビでアルバム「レット・イット・ビー」のスポットCMなども流れていたが、佐藤少年の心には引っ掛からなかったのだ。それゆえ、ほとんどまっさらの状態で聴いたビートルズには、衝撃を受けたという。 「テレビで見る歌謡曲の歌手などは、管弦楽器やエレキギター、ドラムもいるフルバンド編成で歌うのに、赤盤1曲目の『ラブ・ミー・ドゥ』は、アコースティックギターとドラムとベース、ハーモニカしか入っていない。そのことに衝撃を受けて、そのカセットを1日に何十回と聴いたんです。30代ぐらいまでは、収録された曲順通りに、全てをそのまま歌えたほどです」 理屈ではなかった。単純にカッコいいと思えた。グループサウンズのブームも佐藤が小学校低学年の頃にはすでに終わっていたため、バンドという存在自体に憧れた。ビートルズはすでに解散していたが、イギリス・エディンバラ出身の「ベイ・シティ・ローラーズ」なども好んで聴いた。