昭和天皇が語った靖国神社 「拝謁記」に残る会話を研究した大学院生
明治大大学院後期博士課程で日本近現代史を専攻する佐藤大雅(たいが)(26)が靖国神社に関心を持ったのは、自身が戦没者遺族と知ったのがきっかけだった。曽祖父が中国北部で輜重兵(しちょうへい)(輸送など後方担当)として従軍中に戦死し、靖国に合祀(ごうし)されていたことを、中学時代の2012年ごろ知った。遺族として靖国神社崇敬(すうけい)奉賛(ほうさん)会の会員となった経験から、靖国神社の歴史を研究したいと考え、軍事史に詳しい明治大教授、山田朗(あきら)のゼミに入った。 【写真】田島道治=1948年ごろ 20年の学部卒業論文では「靖国神社の内部対立」について書いた。23年の修士論文では、「昭和天皇拝謁(はいえつ)記」に記された天皇による靖国神社に関する発言をとりあげた。ちょうど「拝謁記」が21年12月から2カ月に1冊のペースで刊行されていた時期。刊行されたばかりの最新の内容を論文に取り込むことになったという。明治大の「文学研究論集」24年2月号にも「『昭和天皇拝謁記』から見る靖国神社と昭和天皇・宮内庁の関係」の題で寄稿した。 「拝謁記」では、戦後間もない時期に初代宮内庁長官を務めた田島道治(たじまみちじ)が天皇との会話を書きとめている。1953年3月10日、天皇は「靖国神社は別格(官幣(かんぺい)社)であり、明治神宮は官幣大社(たいしゃ)である。祭神からいっても私としては明治神宮を先にし、(靖国神社は)これと同等というよりはちょっと低い位に致したい」と語った。51年3月27日にも明治神宮について「官幣大社で明治天皇が祭神」、靖国神社について「別格でいわば大元帥(だいげんすい)の部下」と述べている。
朝日新聞社