しげるは「いやいやえん」を改革せねばならない
ここで重要なのは、石破首相は、保育園児のしげるではなく、当年67歳の日本国首相であるということだ。保育園児しげるは、ぺこぺこのおなかを抱えておかあさんにおんぶされ、「あしたになったら、(いやいやえんではなく)ちゅーりっぷほいくえんにいくんだ」と、家路につくことが許されている。が、石破茂67歳には、母の背中に乗り、政治の世界から出て行くという選択肢はない。 むしろ、新自由主義の巣窟のいやいやえんである自民党を、より国民のためになり、日本を成長させることのできる政党に変えていかねばならない責務がかかっている。しげるには、自分でちゅーりっぷほいくえんをつくる道しか残されていないのだ。 そのためには国民からの信頼回復が必須だ。疑似的に信頼を回復させようとした「みそぎ選挙」は失敗した。だから選択肢は、本当に信頼を回復させる方法、カルトと縁を切り、裏金議員を処分し、官房機密費流用問題を徹底調査し、実態を明らかにすることのみである。 が、それは自民党の下野を意味する。下野だけは絶対にいやいやえんな、自民党にそれをさせることができるかどうか。 ●しげるよ、ろうそくをともせ レイ・ブラッドベリの『華氏451度』(1953)は、本が禁制となり、燃やされるディストピアを舞台にしたSF小説だ。この世界では、本を燃やす職業をファイアマン(本来は消防士の意味)と呼ぶ。ファイアマンのガイ・モンターグは、多数の本を隠し持っていた老婆の家に出動し、本を焼いて職務を遂行しようとする。退避させられそうになった老婆は、こうつぶやく。 「男らしくふるまいましょう、リドリー主教。きょうこの日、神のみ恵みによってこの英国に聖なるロウソクをともすのです。二度と火の消えることのないロウソクを」 1555年、カトリックの英国女王メアリー1世は、英国国教会のラティマー主教とリドリー主教を火刑に処した。その時、ラティマー主教がリドリー主教に向けた語った言葉である。その言葉通り、老婆は退避を拒否し、自ら本の山に火を付け、炎の中に消える。 ショッキングな出来事はモンターグに、自分の職務への疑問を芽生えさせ、やがて彼もまた本を読む反逆者への道を歩むことになる。ロウソクの炎はいつか消える。しかし次のロウソクを点火することで、炎は燃え続ける。人の心に灯るともしびは、世代を超えて受け継がれる。 今、私は言わねばならないだろう。 「男らしくふるまいましょう、しげる。きょうこの日、中川李枝子の恵みによってこの日本に新しいロウソクをともすのです。ネオリベのいやいやえんではなく、新たなるちゅーりっぷほいくえんというロウソクを」
松浦 晋也