ヤマハがミナレリにもたらしたもの。日本とイタリア企業の体質の違いとは
買収を経て成長を続ける、これからのミナレリ
イタリアのエンジン製造カンパニー「Motori Minarelli」(以下、ミナレリ)は、1951年にF.B.M.(Fabbrica Bolognese Motocicli)として始まりました。以来、特に50ccクラスのような小排気量2輪車エンジンの製造を行なってきたメーカーです。ヤマハとの協力関係は1980年代から始まり、原付バイクの45パーセント以上にミナレリ製エンジンが搭載された、ということです。2002年にはヤマハの子会社となり、現在はボローニャに本社、工場を置いています。 【画像】潜入!! 「Motori Minarelli」を画像で見る(10枚)
そして2020年末には「FANTIC MOTOR」(以下、ファンティック)がミナレリを買収することが発表されました。ミナレリは、イタリアの2輪メーカーであるファンティックをオーナーとすることになったのです。 ファンティックは1968年、イタリア北部のロンバルティア州バルザーゴで創業し、現在の副社長であるマリアーノ・ローマンさんは元々アプリリアのテクニカル・マネージャーとして、ミナレリとともに多くのエンジンを開発してきた人物です。 ミナレリには付き合いが長い人もおり、ミナレリの社員の半分を知っていると言います。ファンティックとミナレリのパートナーシップは、始まったばかりのように見えて、じつは長い下地があったことがわかります。 とはいえ、ミナレリは長い間、日本の2輪メーカーであるヤマハの子会社でした。オーナーがファンティックに変わり、その違いをミナレリはどう感じているのでしょうか。ボローニャにあるミナレリの本社を訪ねました。 「ヤマハの子会社だったとき、どんなメリットを得たのでしょうか?」という質問に答えてくれたのは、この日、アテンドしてくれたファンティックのエクスポート・マネージャーであるアンドレア・ベナッティさんです。ベナッティさんは以前日本に住んでいたことがあり日本語が堪能で、日本企業の体質をよく知っていました。 「例えば“Just In Time”(必要なものを必要な時に必要な量を生産して在庫を減らし、効率化する)のコンセプトや、工程の継続的な最適化ですね。これら全てのプロセスが導入されており、それは私たちにとっても非常に価値のあるものでした」 「これらのプロセスがすでに導入されている会社なので、(ファンティックはミナレリを)買収することにしたのです。私たちにとってそれは大きなメリットであり、大きな価値でした」 「“整理、整頓、清掃、清潔、しつけ”。彼ら(ヤマハ)は“5つのS”と呼んでいましたが、日本のマネジメントがこの会社に導入したものです。これはマネジメントサイドの話ですが、技術的な実装もあって、それが“改善、Just In Time”などでした。これも日本のコンセプトで、ミナレリに導入されたものです」 「私たちがこの会社を買収したとき、彼らはすでにそのコンセプトでトレーニングを積んでいました。全てのスタッフはその時代からいて、今、彼らはファンティックの力になっています。つまり、特にエンジンの生産と組み立ては、日本のバックグラウンドによって行なわれているのです」