なぜこの国はずっと変われないのか…極端な人ばかりが注目される社会の「大きすぎる困難」
極端な人ばかりが注目される社会で
学校・役所・マスコミなどで、影響力を発揮できる個人に対して、基本的人権を飛び越えて権威的な断定を行う風潮は戦前・戦後を通じて持続している。業界内の新人に、客観的な理論やファクトよりも、内輪の権威を重んじるように強いる教育を行う傾向は確固なものとして継続し、再生産されていないだろうか。 具体的には、上位が作る空気に沿わない者の居場所を集団内から奪う圧力を強めることを通じて、そうすることができる。集団の成員の労働等の対価を、公平な市場における相場よりも安く提供するように強いることもありうるだろう。多くの場合に、学校や役所ではいわゆる右寄りの価値観で、マスコミは左寄りの価値観でそうする。しかし、右でも左でも、過度にナルシシスティックであれば機能しない。 逆に、とにかく上に反発するばかりの、そして本人たちがケガレと感じる汚れ仕事を上に押し付けて、そこにタダ乗りし続けることができると感じる無責任な個人主義も強まっている。パワハラ的なリーダーを次々と担いでは使い潰すこともためらわない。良心的な責任者は搾取される。公金は適切に運用されるべきものではなく、各派閥が握って派閥内で分配するものになる。その場合には、責任感のあるリーダーとメンバーが不信感からの敵対的な行動を互いにぶつけ合う悪循環が強まり、ビジョンのあるリーダーよりも謙虚なリーダーを選ぼうとする圧力が高まるかもしれない。 小・中集団から責任のある個人が立ち上がり、わがままを言うだけではなく、公共心も備えた自己主張を行い、システマティックな大組織が機能できるようになる文化が形成されることが、目指されるべきだ。しかし良識ある中庸な立場の人が搾取され、極端な人ばかりが注目される社会では、そのことの困難さが増してしまっている。 それでももう一度最後に繰り返したい。「人権意識の向上」「客観的なルール設定」「自分の内側にある怒りや羨望を自覚して、それをパーソナリティー全体の中に統合していくこと」の3つが必要だ。
堀 有伸(精神科医・ほりメンタルクリニック院長)