働くって何?一生困らないお金がもらえたら仕事を続けますか、やめますか?
「仕事には他にはない、特別なやりがいがある」という「前提」
逆に、一生食べていけて、楽しく暮らすことに困らないだけのお金がもらえたとしても、働くのをやめないという人がもっているのはどんな「前提」でしょう。 いろいろありそうですが、「仕事には、お金をもらえなくとも特別な価値がある」という前提が一つ考えられるでしょうか。おそらく、それはきっと正しいです。私たちが働くことで得ているのは賃金だけではありませんから。 仲間と一緒に困難なプロジェクトを成功させること、こつこつと進めてきた企画が意外な人から評価されること、教えていた学生たちから卒業時に「ありがとうございました」という感謝の言葉を向けられること(新任の私はまだ体験したことがありませんが)、こういったものは他には代えがたい充実感や達成感として、強く印象に残るはずです。 だからたとえ日々の仕事に辛さを感じていたとしても、それを乗り越えた先にある、『なにか』のために働く。もちろん、それが働くことでしか本当に到達できないもので、しかもそれをあなたが本当に求めているなら、問題ありません。 ですが、本当にそういった充実感や達成感は、働くことでしか得られないものなのでしょうか。余暇に行うスポーツやゲームでは代替できないものなのでしょうか。「仕事とは時に苦しいものだけれど、そこでしか得られない特別ななにかがあるんだ、だから頑張るんだ」という考えを当然のこととして「前提」にしてはいないでしょうか。 もっといえば、最初に私の出したこの究極の二択に答えようと考え始めた時点で、私たちは「仕事とは“ふつうは”働いて得られる賃金を伴うものだ」という「前提」を共有してしまっていることにもなります。ボランティアや専業主夫/婦による家事や学校での勉強を「仕事としてみなさない」、という一つの立場をすでにとってしまっているのです。しかし、家事のことを「主夫/婦業」と呼ぶこともあれば、「子どもにとって勉強は仕事」と言うこともありますよね。 確かに「働いてお金を得なければ食べていけない」。このことは現代社会を生きるうえでどうしても避けられない事実ではあります。ですが、いったん、お金との関係を切り離して、「仕事」や「働くこと」について考えてみることも、「前提」に気づくためには必要なことだと思います。