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読書は変身につながる
われわれは何か思い屈すると本を読む。世の中がおもしろくてしかたがないようなときには、読書らしい読書をすることはすくない。活字を読むという営みには、読者にとっても、自己に新しいマスクをかけることになるのであろう。変身である。 『日本語の感覚』
浮世離れのススメ
古風を好む人間からすると、自我などというものはどうもウサン臭いものに思われる。俺が俺がという俺などは個性としても上々のものではなさそうである。 自分を抑えに抑えてしかもおのずから光を放たずにはおかぬのが、本ものではあるまいか。そんなことを考える。俗な言い方をするなら、もっと浮世離れた方が浮世への影響力も高まるということだ。 『俳句的』
似たもの同士だらけにしない
似たものは似たものに影響を与えることはできない。至近距離にあるもの同士はつよい力を与え合うことが難しい。10メートル離れたところから投げられた石は人を倒すが、目の前から投げられた石はコブをつくるくらいが関の山である。 『日本語の感覚』
タコツボを出て雑魚と交わる
タコツボは居心地がいい。やがてツボの中が宇宙のように思われ、たわいもない些事が大問題のように思われ出して、頭はどんどん退化する。象牙の塔などではない、タコツボを出て、雑魚との交わりを大切にしないといけない。たいていの秀才はそうは考えなくて、我が身を誤るのである。 『朝採りの思考』
我慢がもつ大きな効用
喜怒哀楽の感情を抑えるのは一様に難しいが、喜楽を抑えるよりも怒哀を抑止する方がずっと強い自制心を要する。 それだけに、悲しみ、苦痛をじっとこらえ我慢するのは自己鍛錬である。そういう感情をじっと内に秘めていれば心中の内圧はおのずから高まり、ここぞというときに爆発的に働いて困難を乗り越えることができる。 『傷のあるリンゴ』
足もとに根のある花を咲かせる
連続のないところ、持続のないところに伝統と慣習の生ずるわけがなく、伝統と慣習がなくただ変動するのみという社会では自由になる自由にさえ恵まれない。新しい状況に適応するだけで精いっぱいである。 人間の精神は真に自由になったときにのみ、広い意味でのスタイルを獲得することができる。 それには新思想にとり残される恐怖心から脱却する勇気をもたなくてはならない。よしんばよその花が美しいものであっても、それを切り取ってくることだけを考えないで、小さくてもよいから足もとに根のある花を咲かせることを考えるべきである。 『日本語の感覚』
外山滋比古(お茶の水女子大学名誉教授)