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伊太楼から伊太郎、そしてイタロへ
ところで、「伊太楼」なる響きを耳にして、昭和の音楽愛好家がまず想起するのは、橋幸夫のデビュー曲「潮来笠」に違いない。つまり、潮来の伊太郎。 次いで、イタロディスコ。80年代のイタリアで生まれたユーロ感覚の濃い、すなわち水商売っ気が匂い立つダンスミュージックのジャンルである。その俗っぽさ、軽さ、いなたさゆえ、どうにも癖になってしまう魅力を有している。 ここでふと思う。伊太郎=イタロという地口に導かれる形で、橋幸夫は、「潮来笠」をイタロディスコ化する構想を一瞬でも抱くことはなかったのだろうかと。 70年代晩期のディスコブームは、我が国の歌謡界の大御所たちをミラーボールきらめくダンスフロアへと引っ張り出した。その最大の成功例が、三橋美智也である。代表曲「夕焼けとんび」「達者でナ」をディスコ化したシングル「Mitchie Fever」は、『サタデー・ナイト・フィーバー』のジョン・トラボルタを気取ったジャケットが素晴らしすぎる。 結論から言えば、橋幸夫が余計な色気を出してイタロそのものに触手を伸ばすことはなかった。しかしながら、ディスコサウンドは、別の形でちゃっかり採り入れている。それが、「股旅’78」。 江戸時代のいわゆる渡世人が現代の東京にタイムスリップするという奇想天外な設定は、ピンク・レディーの諸作において荒唐無稽なSF的物語をお茶の間に届けてきた阿久悠ならでは。
マカロニがヒップホップに与えた影響とは
橋幸夫は、三度笠と合羽に長ドスを差しながらボトムスはパンタロンというエクレクティックな出で立ちで、四つ打ちのリズムにのせてこの物語を歌い上げる。まずはとにかく、YouTubeで検索して、このパフォーマンスを目撃してほしい。 この楽曲の参照項としては、恐らく、「木枯し紋次郎」がある。市川崑が、西部劇のテイストを股旅物時代劇へと導入したこのTVドラマは、ウェットな情感を排したドライなテクスチャーが受け入れられ、大ヒットを記録した。ニヒルな主人公を演じた中村敦夫にとっても、一世一代の当たり役となった。 このドラマ放映の翌年に当たる73年、市川崑が監督したATG映画『股旅』が公開される。萩原健一、小倉一郎、尾藤イサオの3名を主演に据えたこの作品には、アメリカンニューシネマに通ずるひりついたリアリティがある。そもそも、「紋次郎」は、この映画のための予算を蓄えるため、また股旅物の撮影を予習するため、企画されたのだという。 さて、井上忠夫、すなわち後に井上大輔と改名するブルー・コメッツ出身の作曲家が紡いだ「股旅‘78」のメロディーを聴けばおおよそ見当がつこうが、この曲には、本場アメリカの西部劇というよりも、イタリアの資本下、ヨーロッパにおいておびただしい本数が製作されたマカロニウエスタンの劇伴の影響がダイレクトに反映されている。 『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』など、エンニオ・モリコーネの手がけた映画音楽に象徴されるマカロニ風サウンドをディスコ化した先例といえば、インクレディブル・ボンゴ・バンドが72年に発表した「アパッチ」が挙げられよう。 この曲は、そもそも英国のエレキインストバンド、シャドウズが60年に発表したヴァージョンがオリジナル。その時点でこの曲がモチーフとしたのは、54年に西部劇の本国アメリカで製作されたバート・ランカスター主演の『アパッチ』であった。 しかし、60年代を通じてのイタリア製西部劇の一大ブームを経て、インクレディブル・ボンゴ・バンドによる新ヴァージョンは、スマートなシャドウズの演奏には感じられなかったマカロニウエスタン特有の荒々しさをまとうこととなった。 匿名的なこのプロジェクトが演奏したこの「アパッチ」は、クール・ハークやシュガーヒル・ギャングを始め、草創期から現在に至るヒップホップのレジェンドたちにカバーされたり、ブレイクビーツの材としてサンプリングされたりしまくってきた(今まで気づかなかったけど、調べてみたら、エイフェックス・ツインやゴールディー、ミック・ジャガーもサンプリングしてるのね)。 アフリカ・バンバータ曰く‟ヒップホップ国の国歌”とまで称揚されるこの曲のフィーリングに「股旅’78」は限りなく接近している。 なお、筆者は、99年にアフリカ・バンバータが来日した際、当時まだ新宿にあったリキッドルームで行った彼のDJプレイに掟ポルシェが乱入し、ステージ上でダンロップのゴルフバッグから取り出した日本刀(もちろん模造刀)を振り回すパフォーマンスを目にしたことがある。あれは、今考えれば、「股旅’78」をアップデートする試みだったのかもしれない(たぶん違う)。