「旭通信社」が大手代理店と肩を並べられた理由と中村局長との出会い[第1部 - 第2話]
仕事のほとんどは固定電話で
佐藤:当時、「仕事」といえば「電話」でした。電話以外にコミュニケーション手段がないので、とにかく電話がかかってきます。驚くことに代表電話が会社に1つしかない時代。電話がかかってくると社内のオペレーターが「国際部の佐藤さんお電話です」と社内放送でアナウンスをして呼び出します。すると、僕は社内の電話でダイヤル9を回して「佐藤です」と出るとオペレーターが「◯◯社の◯◯さんからお電話です」と取り次ぎしてもらい仕事をしていました。電話呼び出しの社内放送は四六時中行われていましたね。 オペレーターを介する電話の取り次ぎは不便な面も多く、次第に直通電話を部署に置くようになっていきました。机の上に少し高い台を置いて、電話を置きます。電話がかかってくると、「誰がその電話を取るのか」という押し付け合いが始まります(笑)。しかし、電話の取り次ぎは若手の仕事だったので「佐藤です」といって電話に出て「部長、お電話です」と、つなぐわけです。これが僕の新人時代の仕事でした(笑)。 当時は、旭通信社が三菱自動車工業を独占して担当していたので、張り付きで対応していました。「サウジアラビア向け◯◯車種の左ハンドルを50部」「カタール向けに60部」なんてことを電話で発注します。毎日、世界中の発注をすべて電話でやり取りし、管理していました。 ですから、三菱自動車工業の待合室には、旭通信社の社員が必ず誰か常駐しているわけです。先輩に「おい佐藤、◯◯さんどんな感じかちょっと見てこい」と言われて、僕は用事もないのに三菱自動車工業の待合室まで見に行くわけですよ。「〇〇さん、ちょっと今日は機嫌が悪そうです」なんて先輩に報告したりしてね(笑)。 三菱自動車工業の待合室には大きなテーブルがあって、旭通信社以外にも、写真関連の会社や印刷業者などさまざまな業者が待機していて、発注が来るのを、今か今かと待っていました。
「16面マルチスライド」でのプレゼンテーション
佐藤:私が三菱自動車工業を担当していた時期だけでも、海外出張で20カ国近く訪問しました。たとえば、ヨーロッパでディーラー向けに新車を発表することになった場合、その発表に使う車の写真素材から準備する必要があります。当時、パソコンは高価な割に性能が低く一般的でもなかったので、プレゼンテーションには「16面マルチスライド」という仕組みを使っていました。セル画のようなものをカートリッジに入れると、コンピューターで制御されてカシャカシャカシャっと画面が切り替わってアニメーションのように動画風に見えるものです。当時は、そういったプレゼン方法が主流でした。 佐藤:プレゼンテーション用の素材は、たいてい発表会ギリギリまで完成しません。印刷物やカタログなどの配布物もあるので、ダンボール10個ほどに詰めて手持ちで海外まで運んでいました。現地に到着するとバンを手配し、荷物を積み込みます。飛行機では荷物を多く持ち込むことがあるので、融通が利くビジネスクラスを利用していました。到着後はホテルのセミスイートに宿泊しますが、その一部屋が荷物置き場になるんです。そういった仕事を多くこなしていましたね。 新車発表会は大抵ヨーロッパのリゾート地で開催されるのですが、プールがすぐ下にあるのに一度も入れない、という少し切ない経験もありました(笑)。