石川県の大地震でシロウトが支援すべきではない理由を、ビジネス視点で説明してみた。(中嶋よしふみ ウェブメディア編集長)
■「不要な支援」が「必要な支援」を圧迫する。
災害が発生し、悲惨な状況が各種メディアで報じられるたびに、現地へボランティアに行こう、支援物資を送ろう、と考える人がいる。それを無責任に煽るメディアも出てくる(今回もすでに出ている)。無秩序なボランティアや支援物資の輸送はかえって混乱するからやめるべき、と冷静な対応を求める人も現れる。 ボランティアに行きたい人や支援物資を送りたい人からすれば善意を否定されたようで不愉快かもしれないが、現状では何かをしたいなら募金をすれば良い。冒頭に書いたように無秩序な支援、つまり不要な支援が許されない理由は必要な支援を圧迫するからだ。 経済学の考え方に「機会費用(きかいひよう)」というものがある。何かを選ぶことは別の選択肢(とそこから得られるメリット)を捨てること、という意味だ。 辞書よりもウィキペディアでわかりやすい説明があったので、引用したい。 『機会費用は、希少性(使いたい量に対して使える量が少ないこと)によって迫られる選択に際して生じる。「そのことをすると、他のことがどれだけ犠牲になるか」計算するものを機会費用(機会コストとも言い)と呼ぶ。つまり、一つのことをすると、もう一つのことをするチャンスがなくなることである。 出典:ウィキペディア・機会費用のページより』 希少性とあるように、災害支援ならば現地への限られた貴重な輸送インフラをいかに効率的に使うか?という視点が必要になる。 機会費用で良く使われる例が大学進学だ。大学進学にかかる機会費用は学費だけではない。「大学に行かなければ働いて得られたはずの収入」も含まれる。別の言い方をすると大学進学で失うものは学費と働けば得られた収入であり、学費と失った収入を賄うだけの高い賃金を貰えないなら大学に行くのは損、ということになる。
■無駄になっても良いという勘違い。
無駄になってもいいからとにかく必要そうなものを送ればいい、という考えが間違っている理由は機会費用で考えると明確だ。失われるのは無駄になった支援物資の費用だけではない。災害によってただでさえ細くなっている希少な輸送インフラが無駄遣いされ、結果として必要な物資が届かない。 総理が警告したように被災地への道路が深刻な渋滞に陥っているせいで、支援物資を満載したトラックや自衛隊の車両の到着が大幅に遅れる可能性がある。怪我人の搬送にも影響が出ているという。邪魔をしているのは、家族が心配で駆けつけようとしている人や、支援物資を積んだ小さい車、要するに役に立たない無秩序な支援の可能性が高い。どちらが優先されるべきかは言うまでもない。 役に立たなくても良いから困っている人がいるなら支援をしたい、という考えで物資を送り、ボランティアに行こうとする人が多数いると、結果的に役に立つ支援を邪魔してしまう。 これは災害発生時に現地へ電話をしないようにという話と同じで、家族や友人への安否確認の電話が殺到することで災害支援に必要な連絡の邪魔をしてしまう、ということで決して難しくはない。 繰り返すが、「不要な支援」はただ無駄になるのではなく、「必要な支援」の邪魔をする。「無駄になってもいい」で損をするのはあなただけではなく被災者だ。だから許されない。