詩人・谷川俊太郎 × 歌手・小林沙羅 「日本の詩」の残し方
詩の伝え方に“理想的”はない
― 詩の伝え方という部分で、詩集を読むだけではなく朗読したり、いろいろな形があるかと思いますが、谷川さんはどういう形が理想だとお考えですか? 谷川 理想的っていうものはないですね。若い頃から僕は紙の上に活字で置かれている詩に飽きたらなくて、何かもっと他の人とコラボレートしたいと、最初は同世代の作曲家と一緒に子どもの歌をつくるところから始まったんですけどね。そのうち朗読もするようになって、声に出すことの大事さに気がついた。詩がいろいろな形で人に伝わるということをずっと理想にしてきました。だから歌われたりするのはすごく嬉しいです。息子(谷川賢作)がピアニストで作曲もするから、親子で歌をつくったりします。 ― 「日本の詩(うた)」では童謡に挑戦、小林さんにとって新境地ですね。 小林 日本の古き良き歌って教科書にだんだん載らなくなってきて、歌っていかないと残っていかない。3.11のときウィーンの人たちが現地でチャリティーコンサートをやってくれて、子どもたちが「赤とんぼ」を日本語で歌ってくれたんです。それがとても心に染みて涙がとまらなくなって。日本の昔の歌って、こんなに自分の心の奥底に届くものがあるんだな、と。 谷川 「日本の詩(うた)」を聴いて日本の昔からの歌は強いな、と思いました。僕は童謡は子どものころ小学校で歌っただけで愛着があったわけではないのだけれど、体に染みついている気がします。日本人の音階が昔からの童謡には入っているような気がする。一時カラオケに行っていたんですが、童謡を歌うと気持ちいいんです。とくに「この道」(詞:北原白秋、曲:山田耕筰)は陶酔するね。
言葉は音楽を内包している
― いま懐かしい曲を集めた全集的なアルバムが結構売れていると聞きます。 谷川 皆さんどこかでそういうものを求めているんでしょうね。ところで小林さんは、いつも日本語じゃない言語でオペラとか歌っていらっしゃるでしょう? 小林 おもに歌うのはドイツ語、イタリア語、英語、フランス語、日本語ですが、ロシア語とチェコ語とポーランド語、スペイン語も数曲ならレパートリーがあります。 谷川 どうですか、母国語である日本語で歌うのとは違いますか? 小林 歌うときにはその言葉が自分の国の言葉であるかのように勉強して、何度も何度も口に出してしゃべって、何も考えずに心と直結して歌えるところまで持っていって歌うんです。何が違うかといえば、会話でも日本語で「こんにちは」っていうのと英語で「Hello」「Hi」とかいうのと心持ちが違いますよね。言葉の響きの中に国民性みたいなものが入っていて、意図せずいつもの自分の性格からはギアチェンジして変わる部分があって、そこが面白いですね。日本語で歌うときはいつもの自分のままなので、外国語より心の深いところと直結できるのかもしれません。 ― 谷川さんの詩も、いろいろな国で翻訳されていますよね? 谷川 よく「この訳はどうですか?」って聞かれるんですけど、いいのか悪いのかわからないんですよ。その言語をわからないと判断しようがないでしょ。詩人っていうのは、だいたい外国語に弱いですからね(笑)。中国でも詩集を出してくれたんですけど、“てにをは”どこいっちゃったの?って思うんですよね。でも翻訳者にいわせると、ちゃんと中にありますから、って言うんですよ。 小林 今回のアルバムでは日本の詩だけを歌にしたんですけど、言葉って音楽を内包しているような気がしまして。言葉は音楽だなって思いました。