埋まる学校、黒い溶岩原…生々しい噴火の痕跡残る三宅島 現着しました!
噴火で死者は出なかったが、島は全島避難を余儀なくされた。多くの島民はすぐに帰れると考えていたが、ガスの噴出が止まらず、避難指示解除には約4年5カ月もの時間がかかった。その後も噴出は続き、全島が居住可能となったのは23年のことだった。
■新たな山も誕生
椎取神社の近くには、昭和37年の噴火で降り積もった噴石でできた「三七山」、15、37年の2回の噴火でできた約500メートル四方の溶岩台地「赤場暁(あかばきょう)」も見て取れる。島南部には、宝暦13(1763)年の噴火で火口湖として誕生したものの、昭和58年の噴火で溶岩が流れ込んで水が消えた「新澪池(しんみょういけ)跡」もある。島内では各地で展望台や遊歩道が整備され、噴火の歴史を体感することができる。
島民の男性は、「地震や火山が多い日本の中でも、これだけ噴火する火山と一緒に暮らしているところは珍しいだろう」と誇らしそうに語った。(橋本昌宗)