高校で負け続けた関学にリベンジするため関東へ 大学4年で迎える最後の関学戦「勝って甲子園ボウルで両親に恩返しを」
アメリカンフットボールの関東学生TOP8を1位で通過した法政大学オレンジは、11月24日に福岡県の久留米陸上競技場であった全日本大学選手権の初戦で、中京大学に30-6で勝利した。翌週の11月30日、法政は準決勝で関西学院大学ファイターズと対戦する。昨年の甲子園ボウルで、関学に21-61の大敗を喫した法政大。中でもひときわリベンジに燃えているのが、関西出身のDB小田隼士(はやと、4年、箕面自由学園)だ。 【写真】DBというポジションは、ターンオーバー一発で試合を決めることもある。小田はこの1年、ビッグプレーを狙い続けている
甲子園で関学を倒すため、関東へ
法政大のDBとして4年間の集大成を迎える背番号2番、小田は大阪府豊中市にある箕面自由学園高校(ミノジ)の出身。中学卒業まで9年間野球をやっていたが、「ミノジに来たら、野球部よりもアメフト部の熱量がヤバくて」。その雰囲気に強くひかれた。ミノジでアメフトを始め、スタメンになったのは2年生の秋から。このときから、小田と関学との間には強い因縁がある。小田が言う。 「高2秋の関西大会準決勝で、タイブレーク(同点による延長戦)で負けました。試合に出られるようになってすぐのときで、3rdダウンショートを自分のタックルで止めて気持ち良かったのを覚えています。でも、それ以上に関学に負けたってことが強烈に残っています」 高校時代にずっと勝てなかった相手。大学でも関学を倒すことを第一に考えて進学先を決めた。 全日本選手権甲子園ボウルの図式が今年から変わるが、これまでは事実上の東西決戦として行われてきた。決勝で関学を倒すには関東の大学で勝ち進む必要があった。そう考えていたとき、最初にスポーツ推薦の話をくれたのが、法政大だった。 「話をもらったときに即決しました。法政で関東代表になって関学に借りを返す。これだけを考えていました」 ミノジからは例年、関学大に進む選手もいる。しかし、小田のミノジの同期は誰も関学に行かなかった。高校生が進学先を考え始める直前にある秋大会での敗戦が悔しすぎて、「大学では関学を倒したい」という気持ちが仲間うちで共通していたという。