【陸上】引退惜別インタビュー 青山聖佳「15年間の陸上生活は大きな財産」400mで日本歴代2位、2度の世界陸上出場 病魔乗り越え競技復帰果たす
病魔を乗り越え、競技に復帰「健康な身体は当たり前じゃない」
病気を乗り越え、競技復帰を目指してトレーニング中の2023年春のスナップ。左は大阪成蹊ACでともに世界を目指した後輩の斎藤愛美さん ――スランプを脱し、さあこれからという時期に病魔が襲いました。 青山 それまで何の予兆もなく、突然の出来事だったので、ただただビックリしたというのが当時の感想です。2021年のシーズンを終えた直後から急に具合が悪くなり、検査したら悪性の腫瘍が見つかって即入院という感じでした。後で聞いたら生命にも関わる危機的状況だったようですが、何とかそれを乗り越え、約1年間の入院生活を経て2022年の秋に退院しました。 でも、日常生活を送ることもままならない状況だったので、まずは日常生活をしっかりと過ごせるように、というところから始まりました。 その後も治療を続けつつ、練習はウォークから。さらに1年後の2023年10月に、再び競技会に復帰することができました。レース前は、初めて試合に出た時以上に緊張してましたが、100m14秒04、200m28秒10で2種目とも走り切ることができた。タイム以上に、走り切れたことが自信になりましたし、再びレースに復帰できた喜びが心の底から湧いてきました。 以前の自分に戻れないことは感じていましたし、周囲も察してくださっていたと思います。でも、瀧谷先生も、職場のみなさんも以前と変わらない対応でサポート、応援してくださり、競技を続けられたことに感謝の気持ちでいっぱいでした。その気持ちに応えるためにも、最後までやり切らなければいけないという意識で、この1年間は過ごしてきました。 ――引退はいつ頃決めましたか? 青山 病気になる以前から、もともとパリ五輪を最後にしようと決めていたので、その気持ちは変わらず過ごしてきました。 ――どんな競技生活でしたか? 青山 始めた頃は、こんなに長く続けるとは想像もしていませんでした。自分が考えていた以上の結果を残すこともできましたし、15年間の陸上生活は大きな財産だと感じています。結果以外の部分でも人間として成長でき、人とのつながりの大切さを学んだ15年間でした。 ――これから世界を目指す中・高校生、そして今も挑み続けるライバルへメッセージをお願いします。 青山 私もそうでしたが、記録の壁にぶちあたったり、ケガや病気をしたりすることは、誰しもが通る道だと思います。そうした苦しい場面で自分自身とどう向き合うかということがとても大事なことです。一人で抱え込むのではなく、相談できる相手、弱い部分もさらけ出せる存在を見つけ、そうした人たちのサポート、支えを借りて乗り越える。強がってばかりでは、決して道は開けません。 私も周囲の支えのお陰で、競技人生をまっとうすることができました。しかし、それは当たり前のことでは決してありません。常に周囲への感謝の気持ちを忘れず取り組んでほしいと思いますし、それが何よりのパワー、原動力になると信じています。 健康な身体があるのも、当たり前ではありません。食事や睡眠、自身の身体と常に会話しながら、日々を過ごし、目標に向け高い意識で頑張ってほしいです。 ――ありがとうございました。そして長い間お疲れ様でした。 ◎あおやま・せいか/1996年5月1日生まれ。松江一中(島根)→松江商高(島根)→大阪成蹊大→大阪成蹊AC。高校時までは100mから400mのマルチスプリンターとして活躍し、2冠を達成した高3のインターハイでは100mでも3位に入っている。大学からは400m中心にシフトし、世界選手権に2度出場と飛躍。日本女子ロングスプリントを牽引した。自己ベストは100m11秒77(14年)、200m23秒68(15年)、400m52秒38(20年/日本歴代3位)
月陸編集部