【陸上】引退惜別インタビュー 青山聖佳「15年間の陸上生活は大きな財産」400mで日本歴代2位、2度の世界陸上出場 病魔乗り越え競技復帰果たす
「ガムシャラに楽しく」から「意味を深く考える」陸上へ
――どうやってスランプを乗り越えることができましたか? 青山 高校や大学で記録が伸び悩むことは、誰にでもあることです。私は高校時代から、記録も毎年伸びていましたし、肉離れなど大きなケガもなく本当に順調な競技生活でした。でも、順調過ぎたことで、一度不調になった時に、その対処法がわからなかった。それが、スランプを長引かせた要因の一つだったと感じています。 高校時代から、先生から与えられたメニューをただひたすら一生懸命こなしていれば、記録がどんどん伸びでいた状況でした。いざ記録が頭打ちになった際に、何をどうすればいいのかわからなくなり、まさに頭が混乱している状態でした。 もう一つの原因は、走ることが楽しくて始めた陸上競技が、いつの間にか苦しいと言いますか、心の負担になっていたということです。 スランプになっていても、周りの方はずっと変わらず温かい声援をいただいていました。ですが、応援に応えられていない自分が嫌になり、どんどん自信をなくしてしまいました。周りの方は純粋な思いで応援していただいていることは、もちろんわかっています。でも、現実として結果を出せない自分に対して卑下する気持ちが強くなり、次第に「頑張れ!」「応援しているよ!」という言葉が苦しいものに変わっていきました。 必要以上に自分を責め、自信をなくしていく。そんな悪循環が2年間、ずっと続いていたので、陸上への気持ちが徐々に離れていきす。大学4年の時には普通に就職活動をして一般企業の内定もいただき、そこに就職して陸上を辞める決意をしていたほどです。 しかし、ラストレースと決めていた国体で、55秒台での予選落ちでしたが、その年のシーズンベストを出すことができた。レース後、指導を受ける瀧谷(賢司)先生とお話をする中で、「もう少し陸上に取り組みたい」という気持ちが芽生え、続けることに決断しました。 最後の最後にナショナルリレーチームのセレクションで合格し、合宿に参加できたこともあって、再び強い気持ちで取り組むことができました。その過程で、競技に対する『楽しさ』と『自信』を取り戻すことができたことがとても大きかったと思います。 耐えた先に、また陸上が楽しいと思えるようになったことで、次第に応援を純粋に感じるようになりました。そして、前を向く力が湧いてきました。もちろん、それは私一人では決してできなかったこと。瀧谷先生をはじめ周囲の方々にも私の気持ちを尊重し、支えていただいたことには本当に感謝しています。 大学1年だった2015年北京世界選手権の4×400mRに1走として出場。現在のも残る日本記録(3分28秒91)樹立に貢献した ――高校時代の2014年アジア大会から大学1年の北京世界選手権までと、2019年の日本選手権で復活を遂げて以降との違いは? 青山 当時は日本代表にあこがれこそありましたが、自分が選ばれたいという強い気持ちを持っていたわけでもなく、北京世界選手権までは、ただガムシャラに楽しく陸上に取り組んでいたら日本代表に選ばれてしまっていたという感覚です。 スランプ後はもう一度、日の丸のユニフォームを着て試合に出たい、そしてお世話になった方々に恩返しがしたいという強い気持ちがあったので、スタート時の気持ち、意識の違いは大きかったと思います。 瀧谷先生との対話も増えましたし、先生からの一方通行ではなく、感覚などを確かめ合うこともできるようになりました。大学の練習で取り組んできたブリッジや前転などエクササイズも、つながりや、やっていることの意味などを深く考えながら取り組めるようになったと思います。練習の裏付けを感じながら前に進むことができ、出てしまった記録ではない充実感、達成感を持ちながら日々過ごすことができました。 スランプを乗り越え、2019年ドーハ世界選手権の男女混合4×400mRで2度目の世界へ ――前半の日本代表時代は長く国際大会などでも活躍された先輩方についていく感じだったと思いますが、後半は第一人者として引っ張るかたちでした。 青山 私自身もそうでしたが、やはり重要なのは個々の選手の意識、強い気持ちだと感じています。個人ではまだまだ世界とは距離がありますが、同学年の松本奈菜子(東邦銀行)が私のベスト(52秒38)を越える52秒29を出したように、上位の選手たちがただリレーメンバーに入りたいとかではなく、51秒台を目指して、もう一段高い意識で取り組むようになってくれれば、今の女子短距離の状況も変わって、盛り上がっていくのではないでしょうか。 日本記録前後、52秒台前半から51秒台の選手が4人そろえば、確実に世界大会に出場することができます。男子の4×100mリレーは選手の誰もが100mで9秒台、個人で代表、そして世界のファイナルを目指しています。女子短距離も意識を変え、少しずつ男子に追いつけるよう積み上げていくことが重要だと思います。 ――青山選手にとって400m、マイルリレーとは? 青山 短距離の中でもきつい種目で、心にも身体にも負担が大きく、正直逃げ出したくなることも何度もありました。それでもつらい種目と向き合うことはとても大事なことで、それを乗り越えた先の達成感は何物にも代えがたいものがあります。 マイルリレーは、大学で何度も日本インカレで優勝し、仲間と喜びを分かち合うことができました。代表でもアジア大会や世界選手権で走らせてもらうなど貴重な経験を積ませてもらった種目。視野を広げ、価値観を変えてくれたという意味でも、取り組んできて良かったなと思います。アジアや世界大会では、満員の観客の前で走ることも日本ではないことなので、とても感動しました。 マイルは、五輪を目指していましたし、それを果たせなかったことは、競技を終えた今、唯一悔いが残っていることです。