オリンピックの5つの輪が表すものは? シンボルに込められた五輪創設者の想い
オリンピックでおなじみの五輪のマーク。このシンボルは近代オリンピックの父ピエール・ド・クーベルタンが考案したものだ。 【画像】エアコンなしの質素なデザイン? パリ五輪選手村の全容をチェック オリンピック憲章によると、5つの輪はオリンピック・リングとよばれ、カラー版の場合左から順に青・黄・黒・緑・赤と並ぶ。これらは5つの大陸の団結、およびオリンピックに全世界の選手が集うことを表しているという。 なお、大陸の数が5なのは、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカ、オセアニアという数え方をしているからで、定住する人のいなかった南極大陸は含まれていない。 また、輪の5色は特定の大陸をさすわけではなく、地の色である白と組み合わせると世界の国旗のほとんどを表現できることから選ばれたのだという。 先述のとおり、このシンボルはクーベルタンによって考案された。彼は1863年にフランスで生まれ、1894に古代オリンピックの復活を提唱した。30代そこそこで世界的な祭典を構想したわけだが、そこには祖国への想いと古代への関心、スポーツの可能性を信じるに至る土壌があった。 クーベルタンが青春を過ごしたころのフランスは、他国との戦争の余波で活気がなかった。彼は祖国の現状を打開するには教育の力が必要だと考えるようになり、イギリスやアメリカなど、様々な場所を視察した。 なかでも感銘を受けたのは、イギリスのパブリックスクールだったという。そこでは生徒たちが紳士的かつ積極的に運動を行っており、そのような在り方からスポーツ教育の可能性が見出された。また、クーベルタンが生まれる少し前には、ギリシャのオリンピアで遺跡の発掘が行われた。かつてその地で開催されていた古代オリンピックも話題となり、以降ヨーロッパではオリンピックの名を冠する大会が散見されるようになった。 このような社会状況は、クーベルタンを刺激した。また、古代オリンピックでは、選手たちが各地から集い、会期中は戦争も停止されたという。こうしたいきさつも、教育の出発点が戦争で疲弊した祖国の改革であった彼にとっては、魅力的に映ったのであろう。 オリンピックに魅了されたクーベルタンは、1890年代にオリンピック競技会の復興を唱えはじめた。1894年には、スポーツ振興を目的とする国際会議で近代オリンピックの開催を提案し、見事可決。この議決がなされたのは、クーベルタンの故郷であり、折しも今回の五輪の会場となっているパリであった。 議決から20年後、1914年には五輪のマークも制定された。このマークは、1920年のアントワープ大会以降、開会式などで使われている。 古代オリンピックの“平和の祭典”ともいえる精神は、クーベルタンの構想した近代五輪にも反映されている。オリンピック憲章の「オリンピズムの根本原則」の項には、現在も「オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである」と明記されている。 ―参考文献― 日本オリンピック委員会「オリンピック・シンボル」 (https://www.joc.or.jp/olympism/principles/symbol/) 日本オリンピック委員会「クーベルタンとオリンピズム」 (https://www.joc.or.jp/olympism/history/coubertin/) 国際オリンピック委員会「オリンピック憲章」 (https://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2020.pdf) 国立国会図書館「第1章 日本のオリンピック参加の歩み」 (https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/15/1.html) 文・近藤仁美(こんどう・ひとみ) クイズ作家。国際クイズ連盟日本支部長。これまでに、日本テレビ系『高校生クイズ』『クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?』など、各種媒体に問題を提供してきた。 2023年、「Trivia Hall of Fame(トリビアの殿堂)」殿堂入り。著書に『人に話したくなるほど面白い! 教養になる超雑学』(永岡書店)など。