「どうせ文字だし」…アカデミー賞受賞の売れっ子脚本家・足立紳が「映画の脚本家は低く見られている」と憤る理由
暴力はもちろんダメだけど……違和感があるのも事実
――コンプライアンス意識が高まり、一般企業でも昔より働きやすくなっているとされます。話を聞いて、足立さんの現場は雰囲気が良さそうと感じましたが、映画業界全体の働き方には変化がありますか? 昔のように、怒鳴ったりする人はほとんどいなくなりましたね。でも、それは表面的に良くなっただけのような気もしていて、「本当にそれでいいのか?」と考える機会もあります。スタッフを集める時に、怒鳴ったりするような人を呼ばないで排除しているだけなのでは?と感じるところは正直あるんです。カッカして声も大きくなりがちでも、作品に対して真摯で丁寧な人はいます。「イライラする人はご遠慮ください」みたいな、無言の圧力はかけたくない。映画やドラマを作りたいと思う人にも当たり前ですが、いろんなタイプの人がいるわけで、それを「僕の現場は穏やかな人だけにします」というのはなにか違う気がする。僕は穏やかな空気が好きですが、穏やかな空気なところに穏やかでない人もいて凸凹しながらやっていければいいと思います。ただ、それには時間をかけたゆっくりした現場が必要だと思う。そうすればタイプの違う人間同士が、互いを認め合うという、映画やドラマが散々描いてきた状況が生まれそうな気がする。でも、それにはやはり時間が必要。つまりそれはお金が必要ということです。 ――はい。 もちろん、暴力は良くないと思いますし、僕自身暴力に委縮してしまう人間ですが、心のどこかに、そういう人を現場から排除することで、排除された人は悪いほうにしか変わらないだろうと思う自分もいます。でも、暴力は怖い。怖いけど、排除しただけではなにも変わらない気がする。きっと幼少期からの教育が重要になってくるのだと思いますが、「多様性、多様性」と映画やドラマの中で言うわりには、映画やドラマの撮影現場は「穏やかな人間で現場をかためる」というある意味で少し偏ったことになっていると感じることもある。 ――「様々な個性が集まった調和が取れている現場」が出てくると理想ということですね。 優しくて穏やかで優秀な人だけが集まる現場もあるのだろうとは思いますが、誤解されるかもしれませんが、僕はそんな現場を面白いとは思えない。僕のように字を書くくらいしか出来ない人もいていいし、例えば妻と現場が一緒になるときは声を荒げてケンカをしてしまうこともあります。基本的に穏やかでも、相手によって穏やかになれないような状況もあるかと思います。広い目で見ると、今後の世の中が穏やかな人だけになるかといったら、そうはならないですよね。だから、いろいろな個性がうまく絡み合い、どう共存できるかを考えていくべきと感じています。きっとそれを誰もが大昔から考えているのでしょうけれど。