「どうせ文字だし」…アカデミー賞受賞の売れっ子脚本家・足立紳が「映画の脚本家は低く見られている」と憤る理由
映画業界の志望者が減る危機?
――それでも、宮藤官九郎さんなど著名な脚本家は多いです。ただ、宮藤さんは映画の脚本もされますが、一般視聴者層にはテレビドラマの脚本家として人気が高いイメージがあります。 そうですね。同じ脚本家でも、映画に比べてテレビドラマのほうが地位は遥かに高いイメージです。人間扱いしてもらえると感じますね(笑)。 ――実際に業界で働く人がその空気を感じてしまうと、映画の脚本家に憧れる人は減り、テレビにいい人材が流れてしまう恐れがあるのではないでしょうか。 その心配はありますね。脚本を軽んじている今の状況を見ると、「自分たちで面白いものを創る」という感覚がなくなっているようにも思ってしまいます。結局それが「映像業界のやつらは原作探ししてるだけじゃねえか」というような感じに見られることにもつながっていると思う。もちろんそうでない方々もいらっしゃるのは大前提ですよ。 ――確かに、近年はヒットしたドラマ、人気の小説や漫画を原作にしている映画も多くなった印象です。 「自分たちで面白いものを創る感覚」がなくなってしまうと、どこかでヒットした面白いものを探すという発想にはなりやすいでしょうね。その方が簡単ですし。
若手時代の、何にも繋がらなかった「やりがい搾取」
――それでも、エンタメ業界はまだまだ憧れを持たれることも多いですよね。若い人たちのためにも働き甲斐のある環境は絶対に必要なはずです。 はい。でも、業界全体で言えることですが、そんな彼らが「やりがい搾取」されてしまうケースもあるのが現実です。僕も若い頃、企画が通るかわからない作品の「プロット書き」という仕事を無償、あるいはものすごい安価で本当にたくさんさせられていました。 ――脚本以前の「映像全体の設計図」を作る仕事ですね。 サスペンス小説を渡され、「これを2時間の映像に収まるプロットにしてくれ」と言われて、いくつもやりました。分量的にもA4で20~30枚書くので、かなり大変です。それで、ギャラは1万5000円くらい。これは搾取以外の何物でもないですよね。当時は「何かに繋がるんじゃないか」と思って必死に頑張っていましたが、それが実際に何かに繋がったことは1回もなかったですし、そのときのプロデューサーたちはのちに誰も声をかけてくれなかったし、今も関係が続いている人は誰もいない。 ――書く能力や構成する力が付いたということはありませんか? それが、「適度にまとめる」という、こじんまりしたよくない能力だけがついてしまったような感じです。これを続けていてはダメだと思いましたが、仕事がない若手はお金のためや人脈のためにやらざるを得ない面もある。よくない文化だと思います。偉そうなことを言ってしまうと、若手の頃に僕にプロットを書かせていたプロデューサーの方々はプロットを書けないだけでなく、読む力もないという人が多いように感じた。生意気ながらそう思いつつ、でもそういう人しか声はかけてくれなかったので絶望感に似たような気持ちを持ってプロットを提出していました。