なぜAI分野がノーベル物理学賞を受賞できたのか? 人工知能(AI)のブレークスルーを生み出した複雑物理系の理論
筆者は当時同僚になっていた元大手新聞社科学担当記者に不満を言った。意見が一致したこの元同僚の計らいで、同様の感想を持っていた日経新聞と毎日新聞の記者を紹介いただき、インタビューを受けた。その内容が、「誤解された眞鍋氏のノーベル賞 複雑系の科学で評価」と題する記事として日経新聞電子版(2021年12月1日午後2時)に掲載された。さらに、毎日新聞は翌年のノーベル賞発表前に特集を組み(2022年9月28日午前7時毎日新聞オンラインと9月29日毎日新聞朝刊)、物理学賞に関する記事の中で前年度の眞鍋らの受賞に触れ、複雑系が注目され今後の受賞に影響を与える可能性について論じた。
複雑系、そのブームと日本における末路
複雑系が世界的に注目を集めるようになったのは1980年代半ばから1990年代にかけてだった。日本でも一時ブームになり、金子邦彦、津田一郎、池上高志、伊庭幸人など当時の物性基礎論・統計力学の若手が中心になって京都大学基礎物理学研究所の長期研究集会として6年間研究会を開催したのが一つの契機となって研究が発展していった。ヨーロッパやアメリカでは複雑系に関する研究所が次々とできていき、現在に至るまで活動を続けている。 他方、我が国においてはブームに乗って複雑系を冠した学科や講座、さらにはバーチャルな研究施設ができたが、複雑系を研究していた若手は呼ばれなかった。そして、ブームが去るとあっという間に学科名、講座名は替わっていった。その前の時代から続くカオス研究を含め複雑系研究は物理分野においてはいかもののように言われ、研究を続けていると、まだそんなものやってるんですか、などと言われたのである(ただし、数学・数理科学分野は違っていてカオスはむろんのこと複雑系に関しても新しい研究動向として捉え、その数学・数理科学研究を学会としても推進した。人工知能分野では中島秀之や竹内郁雄らいち早く複雑系に着目した研究者がいたことで複雑系の概念は守られた。中島が学長だった未来大では複雑系科学科を複雑系知能学科という名前に変更して現在に至っている。しかしこれらは稀有なことであった)。