松井久子「2年前、76歳と89歳で再婚。前夫と離婚して40年以上、結婚はもうこりごりと思っていた。70過ぎて再婚した理由は」
人生のたそがれどきに出会いを得ても、子どもとの関係や迫りくる介護を考え結婚を選ばないカップルも多いもの。松井久子さんは76歳のときに、13歳上の思想史家の子安宣邦さんと再婚しました。その決断の理由と、現在の思いを明かします(構成:菊池亜希子 撮影:宮崎貢司) 【写真】13歳上の夫、思想史家・子安宣邦さんと共に * * * * * * * ◆家族でなければお見舞いにいけない!? 結婚してもうすぐ2年になります。毎朝、一緒のベッドで目覚め、しばらくおしゃべり。長いときは1時間ほど話すことも。 それから、先生――市民講座の講師として出会ったので、いまもこう呼んでいるんですよ――が作った朝食を一緒にいただきます。朝食作りは数十年続く先生のルーティン。 週に3回ほどジムに行くのも決まっていて、筋トレとサウナが健康の秘訣のようです。おかげで90歳を過ぎても風邪知らず。いまはできる限り私も一緒に通っています。 婚姻届は出さずに生きていく選択肢もありました。私たち自身、結婚にこだわっていたわけではありません。ただ、お互いの年齢を考えたとき、今後起こりうる病気などの際、手術の同意書にサインができるのは家族だけ、ということは大きかった。 しかも当時はコロナ禍で、先生の娘さんに「結婚していないと、入院したらお見舞いにも行けないわよ」と背中を押されて。闘病や介護のときこそ近くにいたいと願い、結婚を決めたのです。 とはいえ、私は33歳で前夫と離婚して40年以上、一人で息子を育て、仕事をしながら生きてきました。8年間の結婚生活で「もうこりごり」。まさか70を過ぎて再婚するなんて思ってもいませんでした。
◆母の過酷な生活を思いながらも 私の祖母は明治、母は大正の生まれ。家父長制の根強い時代に、女として生きてきた人たちです。戦後生まれの私は、祖母や母たちの価値観を刷り込まれて育った最後の世代かもしれません。 母は働き者でした。父は病弱で生活力に乏しく、母がお惣菜を売ったりラーメン店などを営んで生計を支えていました。多忙を極めながら、同居の姑から嫁いびりもされて。なのに嫌な顔ひとつせず、常に夫を立てて、子どもたちにはいつも笑顔。 母につらく当たっていた祖母は、若いころから祖父の女性関係に泣かされた人でした。祖母も母も、嫁としての過酷な境遇を受け入れて暮らしてきた。それが当然の時代でした。 そんな現実を目の当たりにした私は、反発を覚えながらも不思議と母の生き方を否定する感情はなく、「母は強くてすごい」と感じていたのです。 大学で演劇科に入ったり、学生運動に参加したりと、アウトサイダーな学生時代を過ごしましたが、一方で「卒業したら結婚して、妻になり、母になる」と思っていました。やはり母が私のロールモデルだったのでしょう。