「自分にはなんの価値もない」という考えのやめ方。執着を手放して心もラクに
少しずつでも何度でも、放下していくことが大切
禅語を実践しているように見える禅僧であっても、「放下」はもっとも難しい実践です。知らぬうちに心にアカがたまり、なにかをきっかけに見栄や欲、あるいはいらぬ劣等感が芽生え、心にはびこっていきます。なかなか「ゼロ」に戻すことは難しい。 だから、僧侶は頭を剃(そ)るのです。欲や見栄は髪の毛と同じで知らず知らずのうちに生えて、伸びていきます。禅僧は4と9のつく日に頭を剃ると決まっているのですが、そのたびに、髪の毛と一緒に、心に積み重なっているものを放下するわけです。 頭を剃るのは難しくても、自分の部屋を掃除したり、クローゼットを整理したり、化粧を落としたりする習慣とともに、自分の心に見栄や欲などのアカがたまっていないかを確認し、ホコリや汚れと一緒に落としていくのもひとつの手です。 一度にすべてを捨て去ることが難しければ、少しずつでも何度でも、放下していくことです。「ゼロ」にリセットすることで新しい可能性が開け、なににもとらわれないあなたの純粋な心に惹かれる人が集まってきます。お釈迦様の生まれたインドで発見された数字「0」は、幸福への可能性をもつ無限の数字なのです。 ※ この記事は、文庫『最後にあなたを救う禅語』(扶桑社刊)より一部抜粋、再構成のうえ作成しております
ESSEonline編集部