「自分にはなんの価値もない」という考えのやめ方。執着を手放して心もラクに
「なにももっていない私」や「ブスな私」と卑下しない
放下することは自分を「ゼロ」にリセットすることです。潔くこれまでの栄光を捨て、「ゼロ」になることで、心の器=キャパシティにすっぽりとスペースができますから、なんでも入れることができます。 それまでの人生で溜めてきた不必要な荷物を下ろし、もう一度、無限の可能性を手に入れることでもあります。 一方で、これまでの人生で、肩書にも富にも恵まれず、「自分にはお金も才能もなにもない、だからなんの価値もない」と悲観しているタイプの人にも、同じく「放下著」という言葉が必要です。 趙州禅師と厳陽の問答には続きがあります。なにももっていないのに、禅師に「放下著」と言われた厳陽は、「でもなにももっていないのです。なにを捨てればいいのですか?」と再度問いました。 すると禅師は「それでは担いでいけ」と言いました。なにもないのですから捨て去ることも、担いでいくこともできないと思うのが普通です。しかし、禅師は、「もっていない」と思う心すら窮屈で余計なものだから、担いでもち去れと言ったのです。 YouTube『大愚和尚の一問一答』には、「私はブスだからなにも思いどおりにならないんです」「私は小さいときからいじめられてばかりで、幸せになることを諦めてます」という負のスパイラルに陥っている人たちの悩みがあふれています。 富をひけらかしたり、美人を鼻にかけたりせず、謙虚であることは大事ですが、このタイプは「なにももっていない自分はダメ人間」「自分はブス」「自分はいじめられやすい」という思い込みで心の器をパンパンに埋め尽くし、それ以上なにも入らなくしています。 引退したプロスポーツ選手が「人一倍努力した自分はだれからも尊敬されて当たり前」という自分像をつくっていても、若い人にあっさりスルーされるのと同じで、「なにももっていない私」や「ブスな私」は、じつはその人が思い込んでいる自分像にすぎないのです。 人は、だれかと初めて会うとき、「この人はどんな人だろう」と、ごく自然に好奇心をもって相手の前に立ちます。だから、世間の価値観や理想像に縛られ、自分を卑下する必要はありません。 最初から自分はダメな人とか、ブスというレッテルをはって、いつまでも後生大事にもっているのはもったいないなぁ、と思います。 そんな自分に気づいたら、即座に放下しましょう。マイナス1、マイナス2、マイナス3と自分を減点するのはやめて、「ゼロ」にリセットすればいいのです。「ゼロ」とはなにかといえば、“無垢な赤ちゃん”の状態です。純粋で、素直で、無限の可能性をもっている赤ちゃんの心をイメージしてみてください。