ガンジス川でご遺体が…ダウン症のある娘とともにインドで体感した「生と死」
ガンジス川での弔いに遭遇し、「生と死」を考えた
小舟でしばらく進むと、煙がもくもく立ち上がる火葬場の前に着いた。とても美しい装束に包まれたご遺体が、遺族たちの手でガンジス川まで運ばれてくる瞬間に遭遇した。 私にとっては衝撃の光景で、一瞬、目の前の状況を娘に説明するのを躊躇してしまったが、これは神聖なるガンジス川に遺体を浸し、天国へ送るという儀式であると聞き、ガイドさんの説明を簡単に日本語で娘に伝えた。すると娘は、「大お婆ちゃんも火葬場でさようならしたよね」と、4年前に亡くなった私の祖母(娘にとっては曾祖母)を弔い、一緒に火葬場で見送ったことを思い出してくれたのだ。 「娘はどこまで理解できるかわからないから……」「どうせ理解するのは難しいだろう……」と、こちらが勝手に決めつけ、英語ガイドをいちいち和訳して伝えるのは面倒だから、と、安易に思った自分を恥じた。今回の旅で度々感じたことだが、娘は娘なりに様々な状況を把握し、理解しようとしている。なのに私が訳して伝えるのを止めれば、その分娘にとっては機会損失になってしまい、それはとてももったいないことだと、このとき改めて、親として当たり前のことに改めて気付かされた。 遭遇した弔いの儀式では、ご遺体は親族の手でガンジス川に浸けられると、すぐまた川岸に戻された。そして、今度は遺体の顔に被せている布を取り、遺族が一人ひとり順番に、ガンジス川の聖なる水を両手で掬い、そっと遺体の顔にかけていく。それが終わると、火葬場へ運び、喪主が聖なる火の中へ送った。 悲しそうにしている人は一人もいなかった。それどころか、みな幸せそうな表情に見えた。ガイドさんに聞くと、インドでは、このバラナシの地に引っ越して来て、死を待つ人もいるほど、ガンジス川で家族を弔うことができるのは、とても幸せなことなのだそうだ。 そのことを娘にも伝え、「大お婆ちゃんが亡くなったとき、どう思った?」と聞いてみると、「いなくなったのは淋しくて涙が止まらなかったけど、今も心の中ではいつでも会えるからね」と、普通の顔で当たり前のように話してくれた。思い返せば、娘の口から曾祖母の話は今も出てくる。いつも、アルバムで写真を見ては、“優しかった大お婆ちゃん”のことを思い出している娘にとっては、本当にずっと心の中に生き続けているのだろうと思う。 この火葬場の火は何千年も前から絶やすことなく燃え続けているそうで、実際に人が付きっきりで、火を見守っている場所にも連れて行ってもらった。そして、約2時間半かけて荼毘に付され、その遺灰をガンジス川に流すということだった。この地の人たちはこうして、常に「死」と共に生きている。決して死を恐れておらず、死は生の最後のセレブレーション(祝い事)だから、ハッピーなことだそうだ。 「仏陀もヒンズー教も信仰ではない。哲学なのだ」と、ガイドさんは言った。 私は、哲学はよくわからないが、「生きるとは」を問い続けることであるならば、まさにそれは夫がこの旅を通して、私たちに見せてくれている姿ではないかと感じた。人生とは、よく「自分探しの旅」と言われたりするが、自分とは探すものではなく、自分で作っていく旅なのかもしれない。 自らの行動によって自分や環境を自ら変えていく。「いかに生きるか」については、この地の人たちにとってみれば、どう生きたとしても、最後にガンジス川で死を迎えられればALL OK。ならば、あれこれ考えるよりも、今この瞬間をハッピーに生きることに集中した方が良いのではないか、これが「幸せとは何か」の答えであるようにも思えた。 火葬場のすぐ近くでも、沐浴をしている人や、ヨガをしている人、瞑想をしている人など、多くの人がガンジス川と共に生きていた。死を迎えた人とこれから迎える人、そして今を生きている人が混ざっていた。 私はこれまで、なんとなく、遺体=見てはいけないもの、死=縁起でもないから考えないようにするものだと思っていた。しかし、このガンジス川での一連の光景を目の当たりにすると、その価値観が揺らいでいくのを感じていた。そして、何よりも娘はガンジス川で目にした光景から目を逸らすことはなかった。娘なりに生と死が共存するこの地のエネルギーを感じてくれていたに違いないと思っている。 ◆後編では、飛行機の中で仲良くなったインド人のご夫婦との出会いで、ガンジス川とは異なるインドの姿と遭遇する長谷部さん一家の出来事をお伝えする。
長谷部 真奈見(フリーアナウンサー)