島田珠代「芸人になって初めての恋は、テレビ局のADさん。初デートはあき恵姉さん同伴で。《いい雰囲気》の彼の前から逃げ出した理由は」
「パンティーテックス」「男なんてシャボン玉」など唯一無二のギャグと独創的な動きで部人気の、新喜劇を支える看板女優・島田珠代さん。そんな芸歴36年になる島田さんが、幼少期から仕事、恋愛、自分らしさ、女として生きることなどを赤裸々に綴った初エッセイ『悲しみは笑い飛ばせ!島田珠代の幸福論』。今回はその中から、芸人になって初めての恋、そして失恋までのエピソードを紹介します。 【写真】珠代さんの若かりし頃 * * * * * * * ◆ピラフがこぼれる初デート あき恵姉さんに「かわいこぶったら笑いに繋がるよ」というアドバイスを受けたときに、もうひとつ大切なことを教えてもらいました。 新喜劇は喜劇ではあるものの、その根底にあるのはお芝居です。台本の役柄には恋愛をする女の子という設定もあるし、男を手玉に取る女性という設定もあります。 「仕事でも恋愛のお芝居をするんだから、実際に恋愛をしてみるのもいいと思う」 それまでの私は、恋愛なんてしたら笑いに鈍感になると思い込んでいました。でも、あき恵姉さんの言葉を聞いて、「確かにあき恵姉さんの言うとおりやな」と感じたので、確実にあのときの言葉が、恋愛に目を向けるきっかけになっていると思っています。 実際に、その成果が笑いに生かされているのかは分かりませんが、私の人生が豊かになったのは間違いありません。
芸人になって初めての恋は、テレビ局のADさんでした。全然話したことがない状態にもかかわらず、劇場の前で毎日のように待っていてくれました。 「好きです! デートしてください!!」 そう言われても、私から見たらよく知らない人です。生来の人見知りが顔をのぞかせて、怖いから無視して通りすぎることしかできませんでした。最初は警戒していましたが、仕事を一緒にするうちに立ち話をするようになり、電話番号の交換をして、休みの日に長電話をする仲に発展します。 今は電話番号の交換くらいなら出会ってすぐにする人もいるでしょう。でも、昭和の時代はそう簡単なことではありませんでした。携帯電話はない時代なので、電話は家にある一台だけ。しかも、電話をかけるとその家に住んでいる家族が出る可能性があるのです。 母から「また電話かかってきてるよ」と言われる私も、「代わりますからちょっと待ってくださいね」と言われる相手も、ドキドキする。そんな時代がありました。 だから、昭和では長電話をするところから恋が始まると言っても過言ではなかったんです。例にもれず、私もその人と長電話をするようになり、初デートの誘いを受けることになったのですが、そこでも生来の人見知りが顔をのぞかせてしまいます。 男性と二人で食事をするという想像をしただけで緊張してしまう私。そんな私が助けを求めたのは、あき恵姉さんでした。
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