電動キックボードがネット上で「蛇蝎のごとく」嫌われる理由! 危険性だけではない、都市秩序を揺るがす問題とは
安全と快適さを脅かす新たな自由
電動キックボードに対する嫌悪感が特に強い理由のひとつは、その使用が公共空間に与える影響である。 公共の場における自由な移動は、個人の権利として尊重されるべきである。しかし、その自由が他者の安全や快適さを損なう場合、自由と秩序のバランスが崩れる。 電動キックボードが歩道を走行する際、そのスピードや動きは予測できず、歩行者にとって脅威となることが多い。その結果、電動キックボードに乗る人々が公共空間において自由を享受している一方で、他の人々の安全や快適さが犠牲になるというジレンマが生まれる。 このような状況において、ネット上での反発が強まるのは、公共空間における 「共存の難しさ」 が浮き彫りになったからである。自由と秩序、個人と集団という二項対立が、電動キックボードに対する嫌悪感の根底に横たわっている。 個人が享受する自由が他者の権利を侵害する可能性があるという現実は、多くの人々にとって不安の種となり、その不安がネット上で声高に表現されることになる。
都市空間の縮小と競争激化
また、都市における電動キックボードの登場は、 「生活空間の縮小」 という問題とも関係している。都市の過密化が進むなかで、公共の場での移動手段が増えると、それぞれが占めるスペースが狭まり、競合することになる。電動キックボードは、自転車や徒歩、車といった既存の移動手段と空間を巡って争うことになる。 この競争は、特に混雑した都市環境で顕著に表れる。歩道を占拠する電動キックボードの存在は、すでに限られた空間で生活している人々にとって、さらに窮屈さを感じさせる要因となり得る。 このように、電動キックボードは単なる技術的な問題にとどまらず、都市空間のあり方や公共の場での自由と秩序のバランス、さらには社会全体の価値観に関わる問題を抱えている。それゆえ、ネット上での反発が強いのである。
電動キックボードの反発理由
電動キックボードに対するネット上での強い反発は、物理的な危険性や騒音、無秩序さだけが原因ではない。 実際、その背景には都市社会の秩序の乱れや個人と集団の自由の衝突、新技術に対する本能的な抵抗が絡んでいる。これらの反応は、新たな移動手段に対する不安だけでなく、社会全体の価値観や秩序、今後の都市のあり方に対する深い疑問を反映している。 電動キックボードは都市社会における新たな 「破壊的変化」 であり、それを受け入れるには時間と努力が必要だ。しかし、この過程こそが、よりよい都市社会を作るための重要な一歩となる。 ネット上での反発が広がるメカニズムを理解するには、ソーシャルメディアの特性を考える必要がある。匿名性が高く、情報が瞬時に広がる空間では、意見が急速に集まり、それがさらに拡大していく。誰かの怒りが共鳴し、それが数百、数千、数万という規模で共有される。電動キックボードに対する批判は、どれだけ理論的に説明しても、ネット上での強い反発の前では無力になりがちだ。 しかし、少数派の支持者たちがどんな意見を持ち、どのように普及に関わろうとしているのかも忘れてはならない。嫌悪感の理由を深く掘り下げることで、新たな視点を見つけることができるかもしれない。 電動キックボードがネット上で蛇蝎のごとく嫌われる理由は、ヤフーニュースのコメント欄でヒステリックに書き殴られるような単なる危険性の問題ではなく、もっと複雑な背景があるからだ。
作田秋介(フリーライター)