「まじめにやったところで邪魔しか入らない」京アニ事件、青葉被告の軌跡(前編)
28歳だった2006年8月、初めて事件を起こす。下着泥棒をして女性の口をふさいだとして警察に逮捕されたのだった。下着泥棒は「そこそこやっていた」と言い、理由は「性欲に困っていたというのがあります」と語った。 母親は面会に行ったが、青葉被告は会おうとしなかったので、妹と連れだって行った。被告は、面会室で妹を見て申し訳なさそうな顔をしたが、続いて母親の姿を確認するなり「何しに来た。それはないだろう」と怒って出ていったという。母親が選任した弁護士も勝手に解任してしまった。 裁判は終始投げやりな態度で、「コンビニでいいように使われた」「全部うまくいかない」「刑務所に入れてくれ」と言い、裁判官からは「人生をまじめに考えなさい」と怒られていた。傍聴した母親は「(裁判官が)本気で諭そうとしているように見えた」と語るが、青葉被告には響いていないようだった。本人は「何も考えなくて済む」という理由で、刑務所に行きたがったらしい。
青葉被告は2007年3月に執行猶予判決を受けた。釈放後は、茨城県にいる母親の家に兄と一緒に身を寄せた。母親は再婚していた。約20年ぶりの同居だったが、うまくはいかなかった。「旦那さんは他人以外の何物でもなかった。何かにつけて優位に立とうとする。反発し、折り合いが悪くなった」。母親によると、再婚した夫が酔っぱらって「おまえに夢はないのか」と問いただすと、被告がかっとなり、「自分は犯罪をしたからやりたいことをやる立場にない」と早口でまくしたてたことがあったという。結局、同居から半年後、「仕事を見つけた」と言って家を飛び出してしまった。 それから茨城県つくばみらい市で派遣労働者として寮に住み、工場で働いたが数カ月で辞め、レンタルオフィスでの生活を経て、当時あった勤労者向けの雇用促進住宅(茨城県常総市)に住み始める。2008年12月のことだ。仕事は定まらず、転々としていた。当時起きた秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大元被告に、「底辺の人間」として共感した。人ごととは思えず、法廷で「加藤被告は母親に冷たい仕打ちを受けていた。自分も親にあまりかわいがられず、何をやってもうまくいかない部分があった」と述べた。