「まじめにやったところで邪魔しか入らない」京アニ事件、青葉被告の軌跡(前編)
父親の酒癖は悪く、青葉被告は「人の短所をあげつらって、ぐだぐだ言うのが好きだった。(聞くのが嫌で)家に帰らなかった」と語る。1年ほど無視した時期もあった。 父親が無職だったため、新聞配達のアルバイトを始めた。「だが、寝坊を3回して怒られて、もう駄目だと言われた」ため、2カ月ほどで辞めた。ただ従業員には面倒見のいい人が多く、しばらく付き合いは続いたという。 また青葉被告によると、中学のころから他者から攻撃されるような幻覚・幻聴が始まり、このため人混みをよけて通学するなどしていたという。幻覚・幻聴は高校時代の最初の方まで続いたとしている。 ▽文化的関心 中学卒業後、浦和市内の定時制高校に入学した。進学する気はなかったが、兄やフリースクールの勧めがあったという。日中は埼玉県庁内のメールボーイ(郵便物などの逓信係)として働き、学校に通う生活で、妹は「忙しそうでしたが、楽しそうでした」と青葉被告の様子を述懐する。青葉被告も仕事について「いろんな人がいたのでやりがいがあった」と語るように、いい時期を過ごしたようだ。高校も卒業まで4年間、皆勤で通した。無職だった父親も再就職してタクシー運転手となり、兄弟らのアルバイト収入もあって家計に余裕ができ、少し広い家に引っ越した。
そのころ被告が関心を持っていたのは音楽や音響だった。LUNA SEAやGLAYなどのヴィジュアル系バンドを聴き、ギターやベース、シンセサイザーを買って弾いていた。スピーカーにもこだわりを持った。楽器を買うためにガソリンスタンドでのアルバイトもかけ持ちした。また、年上の女性と映画やカラオケにデートに行くような経験もした。 また、京都アニメーションに興味を抱くきっかけが生まれたのも、高校時代の友人関係からだった。アニメ好きの「結構、オタクの人」だった友人から、「ONE~輝く季節へ~」というゲーム作品を勧められたことに触れて、青葉被告は法廷でこう語った。「泣きゲーの元祖で、影響のある作品だった。『ONE』の後続作品をアニメ化したのが京都アニメーションで、『ハルヒ』(小説「涼宮ハルヒの憂鬱」)をアニメ化したのが京都アニメーション。『ONE』を見なかったら『ハルヒ』も見ていない。そうなると小説も書いていなかったと思います」