乳がんで亡くなった妻を胸に…「野球界全体でピンクリボン活動を」元ダイエーホークス鳥越裕介さんの想い
5月17日から19日まで、ソフトバンクホークスのイベント「ピンクフルデー」が開催され、3日間で12万人近くのプロ野球ファンが、福岡のみずほpaypayドームに集まった。ピンクに染まった球場には、乳がんの検診車と、募金活動に立つ男性の姿があった。中日とダイエーホークスで内野手として活躍し、ホークスの二軍監督と守備走塁コーチも務めた鳥越裕介さんだ。 【画像】ピンクをあしらったユニホーム姿で募金を呼びかける鳥越さん 鳥越さんはホークスのコーチをしていた2008年に、妻の万美子さんを乳がんで亡くしている。34歳の若さだった。翌年の2009年から毎年、年に1回の球団イベントで「ピンクリボン活動」=乳がん啓発活動に取り組んできた。他球団でコーチをしている間も活動を続け、今年で16年目となる。 筆者(フジテレビアナウンサー・宮司愛海)の母は3年前にすい臓がんで亡くなっているが、母も乳がんに罹患した過去がある。福岡出身なこともあって、以前から鳥越さんの活動を知っており、また、どこか他人事ではない気がして気になっていた。今回のイベントに合わせて、どんな思いで活動を始め、どんな未来を描いているのかを、鳥越さんに伺った。
ステージ4の乳がん 2年4か月の闘病生活
2006年、鳥越さんが選手としてホークスでプレーをしていた時、開幕を控えた鳥越さんのもとに病院から連絡があったという。「治ることはないので、ここからは延命治療です」。妻の病状に関する、急すぎる医師の言葉に言葉を失った。ステージ4で、すでに骨にまで転移していたという。 鳥越さん: 元々は、「(乳頭から)血が出るよね」って話をしていて。ずっと検査してたんですよ。だけど要観察で。おかしいねって思いながら過ごした半年の間に、今度は「腰が痛い」ってなって。精密な検査をしたら、もう骨に転移してた。だから、ちょっと疑わしかったら、もう少し間隔を狭めるのが良かったのかなっていう気はするんですけど… 鳥越さんは、何かできることはないか、と何十冊もの本を読み、ホルモン治療や抗がん剤といった治療を行った。しかし、がんは最終的に脳に転移した。万美子さんは2年4か月もの間闘病し、2008年7月に亡くなった。まだ34歳だった。 「『私、死ぬの怖くないの。でも死にたくない』って妻の言葉、いまでもその意味がわからないんです…」――万美子さんのことを語る鳥越さんの目に涙が浮かんでいた。 亡くなって16年経った今もなお、家にある万美子さんの洋服や私物は、手付かずのままだ。