祖父とマンツーマンで工程をデータ化 町工場がアップデートした鋳造技術が東京スカイツリーにも
新工場効果で受注額も拡大
現場の若返りに切り込んだ小林さんが、返す刀で推し進めたのが鋳交ファクトリーでした。その果実ははやくもたわわに実っています。 「マシニングを内製化したことで、アイデアがその場で試せるようになりました。マシニングには仕掛かり品をマシンに固定する機材が必要になります。ひらめいたのは、この機材をあらかじめ鋳造でつくってしまえば前後の工程が省けるんじゃないかということ。わたしは固定する機能をもたせた仕掛かり品を設計、鋳造しました。もくろみどおり、工程は簡素化されました」 マシニングというあらたなメニューが加わった東日本金属は、取引先一社当たりの受注額も拡大。今期の売り上げは17人の陣容(経営陣を含む)で6億円を突破する勢いです。 ユニークなネーミングは社員公募で決めました。伝統の鋳造技術とマシンが交わる場であり、その交わりをきっかけに人も未来も交わることを願う場だから、鋳交、というわけです。 祖父の容三さんは社員を愛し、下請けの会社を「協力工場さん」とさん付けで呼びました。食卓では「彼らのおかげでお前らは何不自由なく暮らせるんだ」と職人の名前を一人ひとりあげたそうです。そんな容三さんの薫陶を受けた小林さんらしい、粋な計らいです。 粋な計らいといえば、東京スカイツリーの都鳥もそう。その制作にはすべての職人が関わるようにしました。「あれはおれがつくったんだ」と子どもに自慢できるように、という思いからです。 容三さんは鋳交ファクトリーの試運転の前日に亡くなりました。葬儀には弔問の客が長い列をつくり、いつまでも途切れることがなかったそうです。
エディター・ライター 竹川圭