開校90周年の浦和西、埼玉県立勢で初の人工芝化 披露式に約1100人が出席
今春、開校90周年を迎えた浦和西高校の第一グラウンドが人工芝に生まれ変わり、11月11日に工費提供者や来賓らを招いて完成披露式が開催された。埼玉の県立高校で校庭を人工芝にしたのは同校が初。公立高校では、さいたま市立浦和南が2017年3月、同市立浦和と川口市立がともに21年8月に人工芝を施工しており、埼玉の公立校としては浦和西が4校目となる。 【フォトギャラリー】浦和西 22年1月3日にあった浦和西高サッカー部OB総会で、人工芝構想についてのコンセンサスが得られたことで、男女サッカー部の卒業生が主導して2カ年計画を立案。寄付によって工費を集めるプロジェクトがスタートした。 寄付を依頼するには信頼が欠かせないことから、今井敏明OB会長がOB会の法人化を提言し、22年8月に非営利型の一般社団法人UNSSを設立して組織を改編した。 当初、クラウドファンディングによる目標額を5500万円に設定したが、人件費と物価の高騰に加え、ウオーミングアップ用の敷地拡張などで7000万円に増額。UNSSの野間薫副代表理事とともに、プロジェクトの中心となった配嶋幹雄理事は、「一番苦労したのはお金集めでしたが、税理士や弁護士、司法書士や行政書士にいろんな相談と指導をお願いしました。工費を最小限に抑えるための助言もいただき、自らも専門書で勉強しました」と振り返る。 同窓会組織の協力の下、卒業生を中心に学校周辺の住民など、延べ1200人以上から5000万円を超える寄付が集まり、企業17社からは約2000万円の協賛金が寄せられた。 目標額を達成すると、今年7月1日に工事が始まり9月20日に竣工。県立高だけに埼玉県にグラウンドを寄付する形を取り、寄附採納申請の許可が下りた9月28日、早速男子サッカー部が初練習を行い、女子は翌日から人工芝の感触を確かめた。 女子部の魵澤花凛さん(2年)は、「今までボールがイレギュラーしてトラップミスが多かったけど、きちんとボールを収めてから狙った所に蹴られるようになりました」と土のピッチとの違いを口にし、「夏の高校女子選手権は2回戦で敗れシード権をなくしたので、ここで一生懸命練習してシードを取り戻せるように頑張りたい」と飛躍を誓った。 鮮やかな緑の芝の上で行われた披露式には来賓をはじめ、全校生徒や教職員ら約1100人が出席した。 1954年(昭和29年)から90年までサッカー部を指揮したのが仲西駿策さんだ。全国高校選手権とインターハイに各1度出場し、65年の岐阜国体少年の部では仙台育英高(宮城)と優勝を分け合った。 ガンバ大阪、柏レイソルなどのJリーグクラブや日本代表監督を歴任した西野朗氏、日本代表で活躍した川上信夫氏や元川崎フロンターレ監督で、UNSS代表理事の今井氏ら大勢の名選手を指導した。 元国際審判員でもある88歳の仲西さんは、「昔は蹴って走って、こぼれ球を拾って、というサッカーだったが、人工芝のピッチで練習すれば質も変化します。ポゼッションが大事になってくる。施設が整い優れた指導者の下で、また全国大会を目指してほしい」と優しいまなざしでグラウンドを見つめていた。 OBからは激励と鼓舞する言葉が相次いだ。今井代表理事が「夏の1次予選敗退は残念だった。ベスト4や決勝まで進めるよう頑張ってもらいたい」と言えば、往時の埼玉を代表する名手だった配嶋理事も「緑のピッチは気持ちを明るくします。楽しくプレーして結果を出してほしい」とエールを送った。 ここ最近はちょくちょく母校を訪れるという西野氏は、「僕らの頃はすごく水はけが良かった。雨がやめば水たまりもなくなるもんだから、休みと思っていたら練習が始まっちゃうんですよ」と言って笑わせた。 土のグラウンドで汗をかいたのは、もう半世紀も前のことだ。「あの頃は先輩の魂を感じながら頑張った。ピッチは人工芝に変わったが、この下には伝統やスピリットが残っている。それをずっとつなげていってほしい」との金言を後輩に伝えた。 浦和西高サッカー部は全国高校選手権に4度出場し、第35回大会で初優勝。インターハイ出場は2度で、関東高校大会には9度出場して3回制した。 選手権初優勝の主力だった鈴木良三氏は、東京とメキシコ両五輪日本代表で、10年に日本サッカー殿堂入りした守備の達人だった。 (文・写真=河野正)