伊藤忠はいかにして“一流の商社”になったのか。岡藤CEOが伝える「商人の言葉」
世界的な原料高騰が続く中、追い風を受ける日本の商社業界。中でも伊藤忠商事は財閥系以外の総合商社として時価総額を大きく伸ばしている。 【全画像をみる】伊藤忠はいかにして“一流の商社”になったのか。岡藤CEOが伝える「商人の言葉」 なぜ伊藤忠は圧倒的な成長を遂げているのか。その答えの一つは、創業以来受け継がれてきた「商人」としての心構えにある。 本連載では、岡藤正広CEOをはじめ経営陣に受け継がれる「商人の言葉」を紐解きながら、伊藤忠商事がいかにして「商人」としての精神を現代に蘇らせ、新たな価値を生み出しているのかを深掘りしていく。
「準一流」を一流にした
伊藤忠はかつて商社の業界で万年4位、一流半の会社と呼ばれていた。現在は三菱商事、三井物産に次いで純利益は3位だ。だが、時価総額では伊藤忠、三菱商事がトップを争っている。 ちなみに2021年3月期の決算では純利益、株価、時価総額の3つの指標で業界トップだった。商社の業界では三菱商事、伊藤忠が2大商社と言っていい。 「準一流」と見られていた伊藤忠をまぎれもなく一流にしたのが現会長でCEOの岡藤正広だ。「か・け・ふ」という商人のための言葉も彼が作った。「か・け・ふ」とは伊藤忠が実行するべき商いの三原則で、稼ぐ・削る・防ぐの頭文字を取ったもの。 同社は三原則を守り、業績を上げてきたのである。 三原則の生みの親、岡藤は入社後すぐに頭角を現したわけではなかった。
「つらい時は目の前の仕事に徹する」
彼が営業パーソンとして稼ぐまでには雌伏の時代があった。 「三菱商事、三井物産殲滅(せんめつ)」(大学卒業時の言葉)を誓って入社し、輸入繊維部門の配属になったのはいいものの、入ってから4年間は「受け渡し」という事務作業に従事したのである。 彼が配属されたのは大阪本社にある繊維部の紳士服地課。生地の輸出と輸入をやるセクションだ。輸出は「尾州もの」という岐阜近辺の繊維会社が織った羊毛生地(紳士服地 スーツ生地)を中近東、アジアへ送り出すのが仕事だった。 一方、輸入は英国製、イタリア製の紳士服地を扱う。紳士服地のビジネスは商社だけでなく、生産者から小売りまでが規定のルートとなっていた。商社はルートのなかで輸入することと、問屋、小売店への販売を業務としていた。 商品の紳士服地を生産するのは海外の生地メーカーだ。海外メーカーが作った生地を商社に紹介するのが生地エージェント(繊維商)である。そして、商社は紹介された生地を輸入して、主にラシャ屋(卸商、問屋)へ営業する。 ラシャ屋とは紳士服地を切売りする卸商のこと。生地を毛織物メーカーなどから反物単位で購入して、反物をテーラーやアパレルの注文に応じてスーツ1着分などにカットして卸販売する生地屋のことだ。 ちなみに生地の1反はおよそ50メートル、スーツにすると20着分。ラシャ屋の仕事量は多い。各テーラーやアパレルからの注文を受け、それぞれの店に送るために生地を裁断して包装して発送する。生地は柄、種類が多種多様あるから春夏物、秋冬物など生地の切り替えがある時はてんてこ舞いだ。 紳士服地の流通は複雑だ。それぞれの役割を整理すると、次のようになる。 1 海外生地メーカー(ブランド) 商品提供者。エージェントには輸入額に応じた口銭(相場は7%程度)を払う。 2 エージェント 海外生地メーカーと商社の仲介役。商社が購入したら、輸入額に応じた口銭をメーカーから貰う。生地メーカーのサンプルを持って商社と一緒にラシャ屋へ営業する。 3 商社(伊藤忠) エージェントから紹介された生地を輸入しラシャ屋へ売り込む。 4 ラシャ屋(卸商、問屋) 商社から買った生地を紳士服の仕立屋であるテーラー、百貨店の紳士服売り場、アパレルメーカーに販売する。 5 テーラー/アパレル ラシャ屋から買った生地でスーツ等の製品を仕立て、消費者に売る。 つまり岡藤の仕事は生地エージェントと一緒にサンプルを持ってラシャ屋(問屋)へ売り込む。ラシャ屋へ行くことが毎日の日課だった。 しかし、彼は入社してすぐに営業に出たわけではない。受け渡しという事務職をして、業界知識、商品知識を蓄えたのである。通常であれば受け渡しは1年で卒業するのだが、岡藤の場合は次の新人が入ってこなかったこともあって、4年間、受け渡しをやることになった。 受け渡しの相手は主にラシャ屋だ。生地メーカーから仕入れた反物を発送し、請求書を発行、代金の取り立てを行う。取引先のラシャ屋とうまくやっていくことが要求される仕事である。 ラシャ屋の社長にしてみれば生地はどこの商社から買っても同じだ。代金だって変わらない。そうすると、なるべく支払いを延ばせる商社、買ったものを倉庫で預ってくれる商社がいい。融通の利く相手と取引したいのがラシャ屋の社長だ。 一方、商社の営業パーソンも生地を売るために調子のいいことを言う。 「支払いはいつでもいいですよ」「何でもかんでもうちの倉庫で預かりますよ」 受け渡しはそうした営業パーソンの後始末も仕事だ。 「期日通りに入金してください」「倉庫に1年以上も置いたままになってます。倉庫代をもらいます」といった話をしなくてはならない。だが、通常は1年しかやらない。営業に出なくてはならないから、ラシャ屋の社長にきっちり話をつける商社の営業はほぼいなかった。 だが、岡藤は人一倍、真面目だった。真面目過ぎたこともあって、ラシャ屋の社長、社内の事務仕事にルーズな営業パーソンから嫌われてしまったのだった。 ついには、先輩営業パーソンからこんなことも言われた。 「岡藤くんは天才や。受け渡しの天才。キミは受け渡しをずっとやっていた方がよろしい。事務はできるけれど、営業現場には向かないのと違うか」 4年間、つらいことの方が多かった。それでも与えられた仕事をやった。我慢の日々だった。