「東大卒だったから」説教ばかりされていた

営業パーソンとして最前線に出たばかりの岡藤が当時、課長からもうひとつ言われた言葉がある。 「営業に出たら、しばらくは言いたいことがあっても客には言うな。不満があったらノートに書いて俺に見せてくれ」 先輩が同行営業してくれたのは短期間だった。だからといって、その後、一人でラシャ屋へ営業に行ったのではない。 まだ右も左も分からない岡藤に同行してくれたのは生地エージェントの営業パーソン、峠一（とうげ　はじめ。のちに生地エージェント社長。故人）だった。峠は岡藤よりも3つ年上のやり手営業パーソンである。 岡藤は自分はまったく営業に向いていないと感じた。ふたりで営業に行くと、話をするのは峠で、一方、岡藤はラシャ屋の社長から説教ばかりされていた。 それは、彼が東大を卒業していたからだ。 取引先は東大卒という岡藤の学歴に対して、ひとこと言わずにはいられなかったのである。 「あんた、東大出てはるの？それはよかったな。だが、商売と勉強は違うで」 「岡藤くん、東大を出てるかも知らんが、商売は勉強通りにはいかんわ」 峠は和気あいあいと話して契約を取る。岡藤は1時間は説教される。さすがに面白くなかったが、峠は言った。 「岡藤さん、お客さんから説教されたら『しめた』と思った方がいいわ。説教しているうちに、お客さんは何か不満を言うようになる。僕らはそれを解決すればいいんや」 岡藤はそんなもんかと思った。そして、考えた。 「これはやはり、人と違うことをせなあかん。自分が峠さんのような天才的な営業パーソンなら苦労せんでも売っていける。せやけど、僕は天才ではない。客から説教されっぱなしや。だが、峠さんの言うことも一理ある。お客さんに無視されるよりは説教される方がいい。少なくともお客さんと話をしているわけやから。それにお客さんは僕のことが憎くて説教しているわけではない。商売を教えてやろうと思っとるから説教するんや。それなら黙って聞いていた方がいい」