労働時間はどこまで短縮できるか ベルギーの現場から
ブリュッセルにある欧州人材コンサルタント企業、SDワークスのオフィス。社内向けアプリの開発チームに所属するフランソワーズ・ルイスさん(31)は毎日、他の社員より遅い午後7時15分に仕事を終える。「疲れて終業後に友人と会ったり、外出を楽しんだりする気にはなれません。それでも週末に3日間休みが取れるのは私にとって魅力です」と笑う。 【写真】週4日勤務制について語る人事担当者 ベルギー政府は2022年11月、労働規制を緩和し、所定の合計労働時間を保ったまま、週4日勤務を認める法改正を実施した。SDワークスは23年1月に希望する社員を対象にこの制度を試験導入。24年1月、正式に運用を開始した。1日1時間15分所定より長く働くなどし、毎週3日間休暇を取る選択肢と、2週間単位で所定の計78時間働く選択肢がある。ルイスさんは前者を選択した。現在社員約2500人中、118人が週4日勤務制を利用している。 同社の人事担当、ヒチャム・アルブハリさんは制度の利点として、社員の満足度アップのほか、新規採用時のアピールポイントになることを挙げる。「新型コロナウイルスの感染拡大後、勤務時間の柔軟性を求める志願者が増えました。厳しい人材獲得競争の中、この制度が役立っています」と語る。 一方、SDワークスでは、共同作業の効率と顧客サービスの水準を維持するため、各部門ごとの参加率の上限を最大5%に限定した。希望が上回った場合には、交代で参加するなどして社員間の公平性を維持した。だが、試験導入期間終了時に、多くの社員が継続を断念した。アルブハリさんは「長時間勤務による疲労からあきらめた社員もいます。より良いワーク・ライフ・バランスを求めようとした結果です」と語る。 ベルギーの週4日勤務制は、既存の所定労働時間を保ったまま、労働日数を減らす「圧縮型」と呼ばれる。これに対し世界では、給与を保ちながら労働時間を削減する純粋な週4日勤務制を導入する運動が拡大しつつある。 週4日勤務制の世界への普及に取り組む国際NGO「4Day Week Global」のディレクター、アレックス・パン氏は「特に重要なのは労働時間短縮のために働き方を見直したり、最新のテクノロジーを導入したりし、労働生産性が上がることです」と強調する。 英ケンブリッジ大のブレンダン・バーチェル教授(社会学)はケンブリッジ近郊の市役所の例を挙げる。市は約2年前、正規職員の不足で訓練費がかかる派遣職員を雇っていた。だが、仕事の効率化が進んだ場合に、職員が月曜日か金曜日に休暇を取れる仕組みにしたところ、職員全員が働き方を真剣に見直し始めた。 その結果、ほとんどの指標で、達成した仕事量が労働時間短縮前を上回った。バーチェル教授は「生産性上昇の恩恵を、雇用主や納税者でなく、職員自身に還元する仕組みにしたことが、成功の要因でした」と分析する。 ただ、週4日勤務制への移行を進めているのは、世界で数千社程度にとどまるとみられ、普及までの道のりは長い。パン氏は「長く働く人が献身的で良い労働者とみなされる文化の打破」を世界共通の課題として挙げる。今後、長時間労働する人を、時間管理、仕事の効率化が苦手な人とみなす習慣が定着すると、この問題は解決する可能性があるという。 労働時間と雇用を巡る葛藤は各地で続いている。週5日勤務制のギリシャは今年7月、飲食業など1日24時間、週7日稼働している一部企業を対象に、割増賃金で週6日勤務を認める制度を導入した。厳格な労働時間の規制や、熟練労働者の不足、未申告の労働時間の増加などの問題に対応するための施策だが、労働組合などが反発している。 弁護士のヤニス・カルーゾス氏は「雇用難への対応策ではあるが、中長期的に従業員のワーク・ライフ・バランスを損なう。政府は労働時間を短縮する週4日勤務制に向かうべきだ」と批判する。 世界では週4日勤務制の導入がようやく始まったばかりだが、将来、労働時間はどこまで短縮できるのだろうか。 バーチェル教授は「実はテクノロジーの発達により、世界の生産性は毎年2%ずつ上がっています」と指摘する。「100年前に5日かかった仕事を、今では1日半で終わらせることができます。では週5日ではなく、週1・5日勤務で済むはずが、そうならないのはなぜでしょう。新しい形の消費が生まれ、労働需要が拡大するからです」とバーチェル教授は語る。 今後、人工知能(AI)の発達などで労働の効率化がさらに加速するとみられるが、大量の失業者を生む事態にはならないというのがバーチェル教授の見立てだ。「私が住む英国の田舎の村では100年前、約150人が農業に従事していましたが、今では1人だけです。将来、また新しい分野の仕事が生まれ、雇用を吸収することが考えられます」 バーチェル教授は「技術的には近い将来、週3日勤務制が実現する可能性はあります」という。「ただしそれは物質的な豊かさだけではない、広い意味での社会の幸福を優先した場合です。労働時間を短縮した社会は男女の家事負担が平等になり、消費が拡大しない分、環境にやさしい社会となる可能性があります。そこに向かいゆっくり進むのか、今すぐ変わるのかは社会の意思にかかっています」 労働時間の短縮は企業の雇用事情や技術の発達だけでなく、私たちの社会のあり方や人々の欲望、価値観、幸福感、そのすべてが関わりながら、進んでゆく。週3日勤務、週2日勤務の世界はいつ訪れるのだろうか。【欧州総局長・宮川裕章】