逆転で金メダル1号…なぜ34歳“レジェンドスイマー”鈴木孝幸は13年ぶりの頂点に立てたのか…引退翻意から5年の努力と挑戦
セレモニーで輝く金メダルを受け取った。 北京大会の平泳ぎで獲得して以来の表彰台の真ん中に立った。 「13年ぶりになるので、なんというか思い出すように表彰台のトップに戻りました」 スタンドから応援してくれるスタッフの姿が見えた。リオ大会では、競泳陣だけでなく、日本勢全体としてひとつも金メダルを獲得することができなかった。悲願の金1号である。 「多くの方に応援していただきましたのでこういう結果でお返しすることができて、非常に嬉しく思います」 鈴木は素直な気持ちを言葉にした。 海外メディアも鈴木の日本勢第1号金メダルに注目した。 オンラインメディアのinside the gamesは「2013年に英国に勉強とトレーニングのために移住した日本の鈴木が忘れられない勝利を手にした。鈴木は前日の50m平泳ぎSB3での銅メダルに続き、日本がこれまで獲得した5つのメダルのうち2つを勝ち取った」と紹介。 カナダ放送協会(CBC)も「日本の第1号金メダルは非常に素晴らしい泳ぎで栄冠を手にした鈴木によってもたらされた。彼のタイムは大会でのパラリンピック記録を破った」と伝え、ドイツ国際放送局のドイチェ・ヴェレ(DW)は「鈴木が、東京2020パラリンピック大会における日本初の金メダルをもたらしたことで歴史がつくられた。疲れが影響することに不安を抱いていた鈴木が男子100m自由形S4で大会2日目の競泳競技で数多くもたらされた新記録の1つとなる1分21秒58のパラリンピック記録で優勝した」と称えた。 努力と挑戦の5年間があった。 北京大会以来、競泳陣のキャプテンを務める日本競泳界を代表する“レジェンド”スイマーが、リオ大会では、150m個人メドレー、50m平泳ぎの2種目で4位に終わり、アテネ、北京、ロンドンと3大会連続で獲得していたメダルが途切れた。 「メダルが取れなくなったら引退」を“美学”としていた鈴木は、ここで“進退”について自問自答するが、レースの映像を多角的に分析して敗因を探る中で、4年後(実際には5年後)33歳で東京大会を迎える自分にまだ成長の可能性があることを感じた。コーチ、トレーナーにも意見を求め、「引退するのは記録が伸びなくなったとき」と再チャレンジを決めた。 新たに取り組んだのが体幹の強化とメンタルの見直しである。 背筋を生かした泳法が武器だったが、腹筋はまだ徹底して鍛えておらず、体幹という部分は未完成だった。先天性四肢欠損の鈴木は、右足は大腿部から下、左足は膝から下がなく、歩行ができないため、日常的に体幹が鍛えられていなかった。チューブを使って体を固定して腹筋を鍛え、“鋼鉄”の体幹を作りあげ、泳法も、その新しい肉体に合わせて改良した。