独立リーグ・福島で奮闘する岩村明憲。「何苦楚(なにくそ)魂の継承こそ自分の使命」
「銀次や枡田、平石、ピッチャーの青山とか、後輩たちが自分のことのように喜んでくれたことがすごく嬉しかった。僕もほっとした部分はありました。ようやくひとつ、とりあえず仕事ができたと。気持ちで打てた部分もありますが、リハビリも含めて、コーチと相談しながらファームでも腐らず練習を続けていました。 それを野球の神様が見ていて、あの場面で打順を回して打たせてくれたのかなと思いました。あのとき、ベンチからみんなが出てきてハイタッチや抱きついて祝福してくれたあの笑顔は、今でも忘れられないですね」 試合後のヒーローインタビューでは、「岩村選手、待っていましたよ!」の問いかけに少し間を置いて、やや俯きながら「すみません」とヒーローらしからぬ小さな声で照れくさそうに答えた。それでも鳴り止まぬ岩村コールで祝福されると、「歯痒い日が続いていましたけど、今日のこの日を信じてやってきました。ファンの人たちが応援し続けてくれたことに本当に感謝しています」と答え、ようやく笑顔をみせた。 ■「何苦楚魂」を心に宿して 劇的な一打で復活をアピールした岩村。しかしその後調子は上向かず、スタメンに定着することはなかった。そして翌2012年シーズン限りで楽天を離れ、東北の地に別れを告げた。 レイズ時代、二塁の守備に着いていた際、危険なスライディングの直撃を受け左膝に大怪我を負って以降、岩村は本来の打撃、繊細な感覚を取り戻すことができないまま現役引退した。もしあの大怪我がなければ、アメリカ、そして日本でいったいどれほどの記録を残し、ファンを感動させる場面を生み出しただろうか。 「内側と前十字と足首の三角靭帯3本同時だったので、軸足に身体が乗れないというか......」と岩村は振り返る。それでもここ一番という場面や、「自分のために」というよりも「誰かのために」という場面では、時に神がかったような全盛期を思い出させる一打を見せた。 そんな岩村の勝負強さは、高校時代に上甲監督の下で決して科学的、効率的とはいえない猛練習を乗り越え、逞しい精神力を養ったことで培われた部分もあったかもしれない。そして監督になった今、岩村は「夢叶うまで挑戦」という上甲イズムを伝承し、「何苦楚魂」でさまざまな困難を乗り越えながら新たな野球人生を戦い続けている。 今シーズンの目標と、これからの夢について聞いた。