独立リーグ・福島で奮闘する岩村明憲。「何苦楚(なにくそ)魂の継承こそ自分の使命」
「監督としてはもちろん優勝、日本一になりたい、という目標があります。久しぶりに監督として胴上げされたいなと。運営している立場としては、まずはなんとか今年も無事に終えられるといいなという思いが最初にあります。 選手たちも、決して高いとはいえない給料で頑張ってくれている中で、未払いや遅れることはできない。これまでもそこは必死に守ってきました。とにかく、一年一年繋げていくことで新たな目標、夢も見えてくる。そう信じています」 35歳で福島に来た岩村は、今年2月で45歳になった。 当初は誰かが引き継いでくれるまでと思い、本来は背負わなくてもいいはずの重荷を自ら背負った挑戦。気づけば福島に来て、今年で10年目を迎えた。 「スポーツの力で復興に貢献したい」と言葉で言うだけなら簡単だ。しかし、復興に取り組む地元の人たちに対する関心も全国的には年々風化する中、現地に暮らして活動を続けることは、相当な覚悟や情熱がなければできない。それを岩村は9年間もやり続けてきたのだ。 最後に、「福島に来た10年前と今とで、変わらないものは何か?」と聞いた。 岩村は開口一番、「野球に対する愛情」と答えた。 「野球と出会い、そしてここにたどり着くまでには、いろいろな苦労がありました。でも苦労の先に感じられる野球の楽しさ、面白さがある。まさに今取り組んでいることは野球選手冥利に尽きるというか。そういった経験を伝えていく役目が自分にもあると感じています。 今は技術の指導だけではなく、野球を通じて地方創生に繋がることを考えて取り組んでいきたい。もちろん、どこまで続けられるかどうかはわかりません。資金が尽きてしまえばできない話ですから、ホント、一年ごとの勝負です。でもとりあえず今年は、このままいけばリーグ戦の開幕(4月6日/対栃木)から閉幕までは、おそらく大丈夫。シーズン途中で投げ出すわけにはいかないじゃないですか、こればっかりはね」 岩村は笑顔で話した。 部屋を出る岩村の背中をふと見た。真っ赤なチームジャンパーの首筋付近には、「ALL for FUKUSHIMA!」という文字が描かれてあった。 ●岩村明憲(いわむら あきのり)1979年2月9日生まれ、愛媛県出身。宇和島東高校から96年ドラフト2位でヤクルト入団。ベストナイン2度、ゴールデン・グラブ賞6度受賞。2007年にデビルレイズ(現レイズ)に移籍。パイレーツ、アスレチックスでもプレーし、11年から楽天、13年からヤクルト、15年からBCリーグ・福島で選手兼任監督。17年に現役引退して以降も、監督兼球団代表として福島で奮闘の日々を送っている 取材・文・撮影/会津泰成