独立リーグ・福島で奮闘する岩村明憲。「何苦楚(なにくそ)魂の継承こそ自分の使命」
2014年9月2日、67歳で生涯を閉じた上甲監督は、亡くなる直前までグラウンドに立ち続け、最後まで現役監督であり続けた。称賛だけでなく、厳しい練習や選手起用などをめぐり批判されることもあったが、人生をかけて誰よりも野球を愛し続けたことは間違いない。 ■気持ちで打った逆転サヨナラ2ベース 楽天時代(2011~12年)は自身でも満足できるような結果は残せず、ファンからきつい野次を浴びることもあったと岩村は話した。しかし「何苦楚魂」でファームから這い上がり、劇的な一打でファンを感動させた試合を筆者はよく覚えている。11年6月29日、対ソフトバンク戦でのことだ。 同シーズン、岩村はメジャーから日本球界に復帰し、大きな期待を背負って楽天入りした。直後に起きた東日本大震災、そして福島第一原発事故。野球を通じて被災地に勇気を届けたい。他選手と同様に大きな使命感を持ってシーズンインしたものの調子は上がらず、5月中旬にメジャー帰りの男は屈辱の二軍落ち。しかし、上記の試合前日に再昇格すると即先発出場した。 まずは守備で魅せた。8回表、3対3。1アウト一塁の場面で、三塁を守る岩村は、カブレラの痛烈なゴロを横っ飛びで捕球すると、膝をついた体制でセカンドに送球しフォースアウト。一塁も間に合いダブルプレー。「これぞメジャーリーガー」と言わんばかりの華麗かつ力強い守備でピンチを凌いだ。 最大の見せ場は、3対4と勝ち越されて迎えた延長10回裏だった。 2アウト一、三塁の場面で岩村に打席が回ってきた。マウンドにはソフトバンクの守護神、馬原。岩村は馬原の投じた3球目、154キロのストレートを逆方向に打ち返した。高く舞い上がり、一瞬、フライでアウトかと思われた。しかし打球は、岩村そして楽天ファンの思いを乗せたように伸びてレフトオーバー。フェンスに当たり逆転サヨナラ2ベースヒットになった。 岩村は勝利を確信した瞬間両手を叩き、セカンドベースをまわったあたりで腕を上げてファンと喜びを共有した。 13年前のあの場面について、岩村に聞いた。