“心中事件”のかわら版は即販売禁止 心中がなぜ幕政批判に当たるのか?
江戸庶民の興味を常に追求し続けて、商売にしてきたかわら版は、報道というよりもうわさ話のような内容が主だったと言われています。そもそもかわら版は違法出版物でしたが、下世話な内容がほとんどだったため容認されてしまうことが多かったそうです。しかし、なかには幕府批判として、厳しく取り締まられたものがあり、「心中事件」がそれに当たりました。恋愛小説のありがちな結末とも思われる心中を幕府はなぜ目くじらを立てて取り締まったのでしょうか? 大阪学院大学、准教授の森田健司さんが解説します。
違法中の違法「心中事件」のかわら版
かわら版に関する記述が見付けられる「最古の文献」は、『天和笑委集(てんなしょういしゅう)』である。それが1682~1683(天和2~3)年に起きた江戸の大火を記録した書であることを考えると、かわら版という媒体は、この頃から始まったと言えそうだ。以上は、本連載ですでに述べたものである。 その際、初期のかわら版において、特に人気が高かったのが「心中事件を報じたもの」だということにも触れた。ただし、心中に関する報道は、しばらくすると一気に姿を消してしまう。この理由については、まだ論じていなかった。 1684(貞享1)年に出された読売の禁止令によって、かわら版は全般的に違法となる。だが、それでも余程のことがない限り、役人は読売を捕まえなかった。ただし、記事内容に幕政批判があった場合は別である。江戸時代に、我々の知る「表現の自由」など存在しなかった。 そして、そのような政治的な報道に次いで、幕府が厳しく取り締まり始めたのが、心中を扱ったかわら版だったのである。 幕政批判については、強く禁じられても何の疑問もないだろう。しかし、心中を禁じた理由は、すぐには思い浮かばない。心中とは、通常「恋愛関係にある男女が、合意の上で共に死ぬこと」、つまり「情死」を意味する。この心中に関する報道を幕府が禁じたのは、そういった行為が、やはり「幕政批判」を意味したからとされている。 どうにも論理が飛躍しているように思えるが、次のように考えてみれば、このことは納得できるだろう。 心中する二人は、「この世で結ばれ、幸せになること」を諦めたからこそ、死にゆくことを選択したはずだ。そして、彼らが絶望した「この世」とは、ほかならぬ「幕府が統べる世界」である。「この世への諦め」と「あの世への希望」を併せ持つ心中は、だからそのまま幕府への異議申し立てと見なされたのだった。 冒頭に掲げたのは、1875(明治8)年に発行された錦絵新聞「大阪錦画新聞(第9号)」である。ここには、大阪西成郡第三区曾根崎村(現在の大阪市北区曾根崎)で起きた、実際の心中事件が書かれている。つまり、かわら版でもなく、江戸時代に発行されたものでもない。 江戸時代のかわら版を扱う本連載で、明治の錦絵新聞を紹介した理由は、極めて簡単である。心中事件を報じたかわら版は、ほとんど現存しないからである。全国の大学や博物館などに今も残っている「心中関連のかわら版」は、内容を読めば、明らかに創作物とわかるものがほとんどなのだ。