流行らなければ廃れない――及川光博デビュー26年、語ったミッチーの「生き残り」戦略
毎年、新たなタレントが現れては消えていく。生存競争の激しい芸能界において、かつて“王子様キャラ”で強烈なデビューを飾り、そのインパクトの大きさゆえに行く末を案じられたエンターテイナーがいる――。“ミッチー”こと及川光博だ。 周囲の心配をよそに、彼は現在も歌手としてアルバムを発表し、毎年ツアーを欠かさない。俳優としても『白い巨塔』『相棒』『半沢直樹』などの大ヒット作に名を連ねてきた。 なぜ、彼は26年にもわたって存在感を示し続けられているのか。小学生時代のいじめ体験、王子様キャラへの葛藤、苦手な人や仕事への対処法……52歳のミッチーが赤裸々に語った。(文:岡野誠/撮影:木村哲夫/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「流行らなければ廃れない」
「ズバリ、流行らないから生き残っているんでしょうね。『流行らなければ廃れない』をモットーにミッチービジネスを展開しております」 長年、芸能界の第一線で活躍できる理由を問うと、そう答えた。 もちろん、最初から「流行り」を狙わなかったわけではない。歌手デビューした1990年代後半、音楽番組はバラエティー色が強く、いかにトークでインパクトを残せるかも出演者の重要な仕事だった。「ハーイ! 僕、ミッチー。ミッチロリン星からやって来たんだ!」と挨拶し、投げキッスを振りまく姿は時代とシンクロし、またたく間に人気が上昇した。当時をこう振り返る。 「曲をヒットさせたい気持ちと同時に、あえて笑われに行く感覚でしたね。最初、レコード会社と3年契約をしました。売れなかったら、フリーターに戻らなければならなくなる。だから、何とか認知度を高めたいとガムシャラにやりました。今考えると、ナルシシストのパロディーなので、ばかばかしいんですけど(笑)」
一方、俳優として初めてオファーを受けたのはデビューから3年目、テレビドラマ『WITH LOVE』(フジテレビ系)だ。 「プランどおりだったので、キターッて。思っていたより早かったです。このドラマが大きかったですね。もともと役者も目指していたので嬉しかった。初めての経験で張り切りすぎて、上半身のアップカットしか撮ってないのに全身で演じて、『ミッチー、ピント合わないから動かないで』って言われたこともありました(笑)」 デビュー前、俳優養成所に所属していた及川は舞台や映画のオーディションに落ち続けたこともあり、並行して続けていたバンド活動に力を入れ始める。ライブハウスの小さなステージにバラを持って登場すると注目度が上がり、アーティストとしてスカウトされた。デビュー後も“王子様キャラ”を懸命に演じ、知名度を上げたことで、念願のドラマ出演がかなった。及川は“求められること”を一定期間続けたことで、もう一つの“したいこと”も手に入れた。