流行らなければ廃れない――及川光博デビュー26年、語ったミッチーの「生き残り」戦略
悩みながらも楽しい「ミッチーライフ」
及川が学生時代を過ごした昭和の頃、日本には「好きなことでメシなど食えない」「人生には忍耐が大事」という風潮があった。 「もちろん、僕もそう育てられましたけど、我慢だけでは不健康だと思うんです。人でも仕事でも、本当に嫌なことからは逃げる。逆にいえば、嫌なことをしなくて済むように、好きなことや得意なことを頑張る。僕は楽観的ではないし、むしろネガティブで、自分は不完全であると常に認識しています。だから、研究と分析を繰り返し、アップデートしようとする。(『白い巨塔』などで共演した)唐沢寿明さんとディスカッションすることもあります。笑顔で皮肉も言ってくれるし、それがまた図星で参考になりますね。悩みながらも楽しいミッチーライフです。ミッチーライフって何だよ(笑)」
最終的には“キラキラ老人”に
日本レコード協会の統計によると、1996年、及川を含め320組もの歌手がデビューした。その大半はすでに身を引いたが、彼は方向性を変えず、今も楽曲を作り続けている。 「『こういう曲が売れる』とマーケティングにのっとっても、あっという間に流行や時代は変わる。だから、迎合してしまうと“魂の売り損”が発生する。自分の美学ありきで、好きなこと以外しなかったから、26年新曲を発表してこられたんだと思う」 その思考が固まったのは、99年初頭にさかのぼる。ニューヨークに渡り、ウィル・リーやオマー・ハキム、スティーヴ・ガッドなど一流の演奏者とセッションし、アルバム『欲望図鑑』を作り上げた。 「正直、それまでは“売れるための音楽”か“自己表現としての音楽”か迷いもあったんです。でも、彼らは幼い頃からの趣味を、仕事だからと割り切ることなく、純粋に楽しんでいた。それでいいんだなって。あの素晴らしい経験をして以来、心のままに、自己表現としての音楽を続けていこうと思いました」
好きな音楽を追求し、『欲望図鑑』はオリコン9位にランクイン。“自分のしたいこと”で結果を残した。万人に歌い継がれる曲を残したいという欲はあるのか。 「名曲を生み出したいとは常に思っていますが、大ヒット曲ってやはり流行 ですから。『紅白歌合戦』の出場? もう23年間、毎年大晦日にライブしていますからね。だからお断りします……いやそんなことないって! 負け惜しみです(笑)。紅白にも出てみたいですよ? でも、僕にとっての成功は数字や順位ではなく、長く続けることなんです。そのためには、一定のニーズが不可欠だし、信頼と実績がものを言う。これからも歌い続けるために、ショーマンシップにのっとり正々堂々と、自分と戦っていきます」 52歳のミッチーは、自分の老いと死後にも思いを馳せた。 「このまま、“キラキラ老人”になりたいですね。そのために、アルバムもステージもドラマも悔いを残さないように全力で積み重ねていく。(亡くなった後の)お別れパーティーはミラーボールを回して、僕の楽曲やファンキーな音楽を流してもらいたい。ベイベーたち(女性ファン)、男子諸君(男性ファン)には一輪ずつ赤いバラを持ってきてほしいです(笑)」 及川光博(おいかわ・みつひろ) 1969年生まれ、東京都出身。1996年にシングル『モラリティー』でアーティストとしてデビュー。1998年テレビドラマ『WITH LOVE』を皮切りに、俳優活動を開始。その後は、ドラマ『白い巨塔』『相棒』『半沢直樹』など話題作にも数多く出演し、ドラマ・映画・CM等で活躍。アーティストとしても多くのアルバムリリースや毎年の全国ツアーを行い、精力的に活動している。今月27日には、ニューアルバム『気まぐれサーカス』をリリース。29日からは全国13カ所15公演の及川光博ワンマンショーツアー2022『GROOVE CIRCUS』を開催。