流行らなければ廃れない――及川光博デビュー26年、語ったミッチーの「生き残り」戦略
“王子様キャラ”に感じていた戸惑い
ただ、同じ時期に感じていた戸惑いもある。どこに行っても“王子様キャラ”ばかり要求されるようになったのだ。世間は熱しやすく冷めやすい。期待に応え続け、露出過多になるとすぐに飽きられる。 「自分の性格の一面でもあるし、幼少期に『ベルサイユのばら』などの少女漫画を読みふけっていたから、“王子様キャラ”に説得力があったんでしょうね。ただ、デビュー後の早いタイミングで消耗の危険性を感じることもありました。自分の未来予想図とメディアでの取り上げられ方にズレが生じている気がした。このままだと長く持たないと気づいて、“王子転職宣言”をしたんですよ」 デビュー当初こそ世間に知られるために「流行り」を意識したが、消費し尽くされないようにスタンスを変えた。『WITH LOVE』を機に俳優業が盛んになると、『白い巨塔』『相棒』『半沢直樹』などヒット作にも恵まれた。 「おかげさまで、認知度も上がり歌手活動も継続できました。お芝居では必ず監督の指示に従います。演出や撮影方法も勉強になるし、思いもよらない自分の一面を知ることもできる。それを曲作りやステージにフィードバックしています」 イメージチェンジをしながら、芸能界という荒波を泳いでいく。誰もが抱く理想だが、路線変更が成功するタレントは希有だ。実は、及川は少年時代から戦略と努力で環境を変えていたという。
小学生時代に経験した、人の残酷さ
小学6年の時、学級委員長も務め、女子からモテモテのミッチーはある日、突然クラスメイトから無視され中傷されるようになる。 「ねたむ男子たちにあきらめてほしくて、より目立つようにしました(笑)。通学は毎日辛かったですけど、塾に行けば友達がいた。学校以外に居場所があったことも助かりました。『ここにいてはダメだ』と思い、必死に勉強して中学受験で私立に入りました。(周囲の)世界が変わらないなら、自分が変わればいい。イジけたり、すねたり、他人を呪ったりしても仕方ない。自分から動かなきゃね。早いうちに人の残酷さや理不尽さを経験できたのは良かったです」 現在では、ネット上のいじめも存在する。特に、世間に顔を知られている芸能人は称賛も受けるが、心ない罵詈雑言も飛んでくる。及川はツイッターやインスタグラムなどのSNSをしていないが、自分に関する記事のコメント欄は時折チェックするという。 「目を細めて、恐る恐る見ます(笑)。あまり悪く書かれていないと、小さくガッツポーズしています。ただね、自分の見たいものだけを見て、信じたいことだけを信じている人が多いなと感じます。今のところ僕自身はSNSの必要性を感じてないんですよね。パソコンも持っていないし。昔、『2ちゃんねる』でエゴサーチしてみたんですよ。そうしたら、言葉の暴力がすごくて。この世界は僕に向いていないなって思った。無駄に傷つきたくないし、その時間を創作活動や友人とのおしゃべり、好きなアニメ鑑賞に使いたい」