皇后さまの言葉に背中を押された外交官、そして大統領は決断した 移民社会は分裂、ドミニカ共和国の日系「棄民」の65年(後編)
アビナデル大統領は日本人・日系人への補償を発表した大統領令の中で、「日本人コミュニティーが国の経済発展のために果たしてきた貢献や義務により、これらの家族に経済的補償を行うことは国益にかなう」と判じた。 嶽釜さんは、政府が「今までのわれわれのドミニカでの貢献を認めてくれたと思う」と説明した。そしてこう続けた。「われわれは先輩たちからずっと受け継いで、日本人としての誇りを持って、悪いことをするなと言われてきたわけですよ。それを今も守っている。それと農業に対する貢献というのも非常に大きい。そういうことからこうして厚意をもって、今回私みたいな移住者の声を聞いてくれた」 ドミニカ共和国でサラダを食べられるようになったのは日本人移住者がもたらした野菜や農法のおかげだとも言われるほど、日本人の共和国への農業分野で果たした役割は大きいと認識されている。 ▽誇りある日本民族の血を以て 北米やほかの中南米の国々にわたった多くの日本人移住者の家庭のように、ドミニカ共和国の移住者も苦しい生活の中、子どもたちには精いっぱいの教育を与えた。そのため、4世まで世代が進む日系人は医師や弁護士、教師、実業家などとして活躍する。
祖国に裏切られたと感じながらもドミニカ共和国に確実に根を張り、懸命に生きてきた移住者とその子孫。また彼らの残してきた足跡を見て補償に値すると判断した共和国政府。現在、日本は働き手として多くの移住者を受け入れる立場にある一方、高賃金の仕事を求めて海外に出る人も増えている。移住とは、母国とは何かという問題を考えさせられた。 ダハボンの日本人居住地にある記念碑建立の辞にはこんな言葉が刻まれていた。 未来を開く子孫よ 我らが老骨を礎となし 誇りある日本民族の血を以て限りなき発展を図り 君らが母国ドミニカ共和国の繁栄に 寄与されん事を願う 【前編はこちら】夢の海外移民、カリブ海の「楽園」は地獄だった 日本政府と法廷闘争、ドミニカ共和国の日系「棄民」の65年(前編)