阪神タイガース・藤川球児監督の手腕に期待…高校時代の恩師が語るエピソード
<土佐のひと>元高知商業高野球部監督 正木陽さん64
プロ野球・阪神タイガースの監督に就任した藤川球児さん(44)を高知商業高校(高知市)で指導した正木陽さん(64)。藤川さんの入学当時を「野球センスがあった」と振り返り、「選手の動きをよく見て、意見も聞けるから」と監督としての手腕を期待する。 【写真】阪神監督に就任した藤川さんとの思い出を語る正木さん(高知商業高校で)
――今月8日、安芸市営球場に阪神の秋季キャンプを見学に行った。 「激励するのでなく、監督としてのユニホーム姿を遠くからでも見たかった。どんな指導をしているのかと。教え子でプロ野球の監督になったのは初めて。節目節目で踏ん張って、よくここまで来たなあと感慨深い」
――1996年、藤川さんが高知商に入学した時から成長を見守ってきた。 「1年の時から腕がしなるようなきれいな投球フォームでボールの回転もすばらしかった。身長は1メートル72くらいで球速も120キロ台だったが、体に力がついたら、いい投手になると思った」
――1年秋の県大会で敗れ、選抜出場を逃した。冬の間、学校近くの宗安寺で座禅に取り組ませた。 「朝早く、寒い中で寺まで走っていって座禅を組み、また走って寮に戻ってくる。毎日、欠かさなかった。何かに集中して取り組む姿勢を学んでほしかった。冬を越したら球速が出るようになり、140キロを超えていた」
――2年夏に甲子園に出場してプロからも注目される投手になった。 「帽子のひさしの裏を見たら〈弱気は最大の敵〉と書いてあった。誰の帽子かと思っていたら、球児が『僕のです』と。炎のストッパーと言われた元広島の津田恒実さんの言葉だった」
――99年にドラフト1位で阪神に入団した藤川さんは「火の玉ストレート」で活躍。2020年秋、引退発表の約1か月前、正木さんには「先生、僕はよく投げましたよね」と連絡してきた。 「名球会入りの条件の通算250セーブまであと七つだったので、もう1年やったらどうかという話もしたが……。本人はやりきったと言いたかったのだろう。自分で一度決めたらいっさい振り返らない」