時代を生き抜いたニッポンのスポーツカー「フェアレディZ」
こうして新生日産は派閥に分断され、派閥抗争の一つの現れとして、派閥ごとに多くのシャシーやエンジンを開発していく。後に、無駄が多すぎるとしてカルロス・ゴーンが整理した無数のエンジニアリング・リソースは、こうした怨念の集合体だったのだ。加えて、組合運動も他者と比較にならないほど激しかった。歴代の日本人経営者が手を出せなかった理由はそういう政治的背景にあった。 日産のハイパフォーマンスカーの中で、フェアレディZは日産系、スカイラインはプリンス系にそれぞれ属していたから、開発の裏側では常に激しい火花が散っていたという。例えば、スカイラインGT-Rに搭載したS20型エンジンをフェアレディZにも供給することが決まった時は、プリンス組は「ウチで開発したエンジンはあいつらには使わせない」と大荒れだったという。 しかもこの日産系とプリンス系の遺恨は一過性のものではなく、長く続いたのである。そのスカイラインとフェアレディZがシャシーを共用するようになったのは、なんと2002年のことである。開発スタート時期を考えると、30年以上の歳月が必要だったのだ。合併から30年。それはプリンス入社組が定年を迎える時期に相当する。日産系とプリンス系の相克はついに和解することがなかったとも言える。
スポーツカーがもたらす人生の喜び
そんな長い戦いの果てに、Z33型とZ34型はスカイラインと共通するシャシーを持つスポーツカーになった。前述のリリースに添えられた『フェアレディZ プレスインフォメーション』には、日産がこのスポーツカーに賭ける意気込みがあふれている。筆者が原稿を書くために昨今のクルマの資料を当たると、エンジンの気筒数や排気量ですら隅に追いやられ、クルマが機械の集合体であることを打ち消そうとしているような嫌な雰囲気を感じる。それと比べるまでもなく、このインフォメーションにはクルマや機械を愛する人たちの情熱がこもっているように感じるのだ。 一文だけ抜き出そう。『ライバルと切磋琢磨し、スポーツカーの持つ楽しさ、スポーツカーがもたらす人生の歓びを一人でも多くの人に提供していきたいと思っています』 願わくは、次世代も、次々世代もフェアレディZはニッポンを代表するスポーツカーであり続けて欲しいと筆者は思う。 (池田直渡・モータージャーナル)