ヤバい「巫女養成スクール」生徒を酒席の“接待要員”としてタダで動員。セクハラ被害も
神楽舞に憧れる純粋な気持ちで参加
絹江さんは「自分のせいで」という後悔を抱えている。彼女が巫女養成スクールの起ち上げ期に関わったSNSを見て、「楽しそう!」と参加を決めた教え子が何人もいるからだ。 絹江さんも当然本部へ苦言を呈するが、現在は設立当時とは変わり、絹江さんの言葉に耳を傾けてくれるスタッフがもういないので、暖簾(のれん)に腕押しだという。 とある絹江さんの教え子は、巫女舞(神楽)に憧れてスクールに入った。神楽鈴(かぐらすず)をシャン…シャン…と慣らしながら、優雅に舞うそれはとても神秘的だ。当時はそのスクールのほかに、教わる場が見つからなかったという。
コストダウンの“なんちゃって”神楽舞
スクールに入る前、教え子はうれしそうに語っていた。 「巫女舞をはじめて見たのは、七五三の祈祷(きとう)のときですかね。巫女さんがとても素敵で、自分も踊ってみたいとずっと思っていたんです。それを習うことができるなんて、本当にうれしい!」 神への奉納として舞うそれには種類があり、神社庁が定めるものもあれば、それぞれの神社独自のものもある。しかしいずれも歴史と文化の移り変わりを経て受け継がれてきた、伝統ある舞である。 ところが、スクールで教えている舞は、そうした伝統的な舞とはまったくの別モノだった。 「運営の人脈で、振付師のような人にお友だち価格で作ってもらった、なんちゃって神楽なんですよね。一般的に、伝統的な巫女神楽は、講師に依頼して習うことはできます。でもそれなりの金額がかかりますから……コストダウンのためにスクールが創作したと言えるでしょう」 スクールで教えるそれはスタンダードな巫女舞ではない、という絹江さんの説明を聞き、教え子は肩を落としていた。さらに「舞を習いたかっただけなのに、なぜバーで男性客の相手をしているんだろう」とも……。 一次が万事、説明不足で不親切なのだ(詐偽と言ってもいいかもしれない)。 運営の神道系新宗教は神社庁に所属していないので、教えるものは独自解釈も含まれること(冒頭で紹介した「お祓いができる」も同様である。神社庁の管轄下で行うことはできない)。一般の寺社で活動するために有利になる要素は、少ないこと(運営母体である新宗教での手伝いはできる)。 つまり、あくまで“その団体が考える巫女”として認定される、カルチャースクール的なものでしかないということだ。